気功入門

   
さまざまな気功があります。
福岡気功の会の気功は
自分のために、自分でする気功です。
気功をしたらどうなる。
普通になるのです
気功を習得して特別人間になりたい人は、ほかをあたってください。
私たちの気功は地味な努力の積み重ねです。
少しずつ、確実に進歩します。
 
   
Q:どんな準備が必要ですか?
-リラックスできる服装。余裕のある時間。

Q:知らない人の中で、緊張しやすいのですが…
-じゃ、最初のうちは習おうとしないで、ここにはどんな人がいるのかな?と回りを見るだけにしてごらんなさい。教室がホッとできる場所だといいのですが。

Q:通信講座を受講して、自宅でマイペースでやるのも、ありです
か?

-あり、です。遠方の方はもちろん、近隣にお住まいの方でもOKです。

Q:すぐ、効果が出ますか?
-リラックスができればね。
 福岡気功の会には
序列がありません。
偉い先生もいません。
ユニフォームがありません。普段着でします。
数人~十数人の教室で習うのを基本としています。
初心者と熟練者が一緒に学んでいます。
老若男女、病弱、瀕死…でも、意欲さえあれば大丈夫。
少しお金がかかります。年会費5000円と月謝5000円です。
まずリラックスを学び、
集注を学び、静けさに親しむことを学びます。
 
Q:難しいですか?
-それは、外国人に「日本語難しいですか?」と問われた時の答えと同じ。日本人だったら子どもでも「いいえ。いつも使ってますから…」と答えるでしょ。

Q:どれくらいやればマスターできますか?
-気功に検定はありませんからね…。あなたの、今の課題をクリアするためだけなら、1カ月4コマかな。でも、気功をマスターしたことにはなりません。まあ、自分で決めることじゃないですか。

Q:宗教的…と聞いたのですが、関係ないんですか?
-ああ、仏教気功のことね。拝仏功、香功、羅漢功とか。仏教徒には適しているかもしれませんが他の宗教の方には抵抗があるでしょうね。無神経ですね。私は採りません。ただ、理論の中に、宗教思想は欠かせません。科学が欠かせないのと同じです。

Q:精神世界系とつながっているんですか?
-気功は精神性を重視します。精神世界(スピ)系の人は気功に興味を示すようですね。でも気功世界がトンデモ系と地続きなのではありません。

Q:ヒーリングと関係ありますか?
-ヒーラーにとって気功は役立つでしょう。というより、ヒーリングに深みをもたらすと思います。でも気功をマスターしてヒーラーになろうという道は用意してありません。

Q:外気功は扱っていないんですか?
-教室では。でも指導者が常識として知っておきたい「手当て」は研修会で学びます。外気功を指導できる人は、いませんからね。 
 
気功で健康になりたい!というのなら、
睡眠力をアップすることだ。

ぐっすり眠れて、すっきり目覚められたら、
自然治癒力が発揮されたということ。

自然治癒力の中身は、代謝力と免疫力。
この二つを手に入れよう。

覚醒時に、ぐっすり眠れて、すっきり目覚める練習。
それが気功だ。

睡眠は、
脳波δ波のノンレム睡眠と
脳波θ波のレム睡眠の
パッケージでできている。

ノンレム睡眠で、寝返りをしている。疲れを取るのだ。
レム睡眠で、夢を見ている。情報の整理をしているのだ。
睡眠を安定させるのが、寝息。

気功で、寝返りの練習をする。これが動功。
気功で、夢見の練習をする。これが静功。
動功と静功を安定させるのが呼吸法。寝息の練習だ。

気功の練習は、睡眠時と近いα波とθ波の脳波環境で行なう。
それがリラックスして、余分な力を用いずに行なう理由だ。
 
     
気功のイメージ
まったく経験のない人のために『霊元功』という気功の「三元樁」の最初のところを
ご紹介しましょう。ちょっとやってみてください。
 

とにかくやってみるか。
やってみたあと、
ふーん…なかなか面白いじゃないか。
と感じた人には
気功世界は受け入れやすいかも。

なんだ、コレ?
こんなことやって、どんなイミがあるんだ?
もう一回、マジメにやってみるけど、
そうしたらどんな効果があるんだ?
と思ってしまう人には、
気功世界は
忌むべき「外国」か「暗黒宇宙」ですね。

気功は左脳人間にこそ必要ですが、
左脳人間には受け入れがたい
「ぬるさ」を核心とした心身技法です。
テキパキ人間には、
もたつく女こども老人病人…は、
邪魔と感じられます。 

生まれてから死ぬまでテキパキ人間
なんていないのに。
テキパキ人間だって、
睡眠中はだらんとしてるくせに。
しかし、近代世間は、走りまくる。
ストレスが隣り合わせ。

睡眠までうまくいかなくなって
困っているのが現代人。

気功世界は、
リラックスして感じられる、
もう一つの「私の居場所」です。
そこでは、
血肉の身体よりも
「気の身体」がモノをいうのです。
つまり、
丹田とか、気脈だとか、ツボだとか。
そこをステージとして
心を遊ばせる。
気功をすることを練功といいます。
練功を積むと、気が充実してきて
気持ちが和やかになります。 

たとえていえば、日本の国旗。
「♪白地に赤く日の丸染めて…」 
日常相手にしているのは「日の丸」部分です。
そこをいじっている。
しかし、日の丸が冴えるのは白地があってこそ
じゃないですか。
でも、日頃は白地には見向きもしない。
気功は、
国旗の白地部分の「洗濯」みたいなもの。

一昔前まで、
人は男も女も、
大人もこどもも老人も、
健常者も病弱な者も、
一つ屋根の下に住んでいたのです。
今は、
効率にしたがって、互いに隔離して生きている。
生産性は上がり、コスパ(対費用効果)はよいが、
平和と幸せから遠ざかった。

気功には、
平和と幸せに近づく
もう一つの答えがあるのです。  
 
  落ち着けるところを選んで、リラックスして立ちます。

足は肩幅。足の長さ分をあけ、爪先を正面に向け、左右並行にします。
手はぶら下げ。
顔は正面平視。眉間をゆるめて。ちょっと微笑む感じ。
頸伸ばし、肩落とし、みぞおちを開く感じ。

…これだけでも、初めてだと、タイヘン。
つまるところ、リラックスして立ちなさいということなのだけれど。

臍の裏に「命門」というツボがあります。ここをゆるめるべし、と言われています。門だから開くべし、なのですが、そういわれても解りませんよね。直接、習ってください。文章では伝えられない。
胸を開いて、肩を開いて、手を横から挙げていきます。

手首を吊り上げられる感じで、腋を開いて胸の高さまで。
それから掌を向かい合わせ、大きな風船を抱える気分。

この動きを「開」といいます。

腕だけでなく、からだ全体が膨らんでいくようにイメージします。
外から見れば、たんなる手の動きですが、
おなかが膨らみ、胸が膨らみ、腰が膨らみ…、手も膨らんでしまう、なのです。全身の膨らみを手で表現するというか。 
  こんどは、外からかき寄せるように手を腹の前まで引き寄せてきて静かに止まる。手と手の間は約40センチ。
この手と手の間に、透明な目に見えない気のボールがあるかのようにイメージする。

つまり、気功のいくぶんかは「その気になって遊ぶ《ままごと》」なのです。
ヘンな人は手と手の間に手を差し入れて「あ、ホントだ。ちゃんとボールがあるよ」などと言う。あるわけねえだろ。でも、そう言い切らずあるかのように思うと(ままごとをしている時のように)たのしい。

この姿勢を《抱球勢》といいます。1分間以上このまま。もちろん、リラックスを心がける。気持ちはにこにこ。 
  はさんだ球の北極に手を滑らせてきて指先を前に向ける。 
  それから球の向こう側の赤道付近まで下ろして止める。
両手とおなかで球をはさんだ形。
それから、手を手前に引き寄せて球の手前半分をおなかの中に押し込んでしまう。

手とおなかの間は12~3センチ。

それから、あらためて姿勢をリラックスさせる。
 
  手首の高さは臍の高さ。指先は親指も全部下向き。

腰を沈ませて、膝も足首もやわらかく曲げる。曲げると体重が足の裏に落ちる。

この姿勢を 《人元樁》といいます。北京原人みたいだ…ということで原人樁というときもあります。

おなかを包んでいる感じでもあり、また、球そのものである身体を演じていると言ってもいい。
全身が緩んで、深い休息に近い感覚となる。このまま5分…とか。

気持ちよく立てれば5分でも10分でも。厳しければさっさと終わる。
  終わるときは、両手を臍の上に重ねる。重ねてそのまま30秒。
息を吐ききり、おなかを締め、そのまま息を吸って吐くと同時に手を下ろして、気功はおしまい。

気功を終えるときの最後の所作を「収功」といいます。

ここまで、せいぜい4~5分ですが(早ければ1~2分)、リラックスが維持できれば、これだけでも「気功トリップ」になります。
問題は、リラックスですね。リラックスが不完全だと、ただの時間のムダです。

いかがですか。気功は一言でいえば「静の行」なのです。静けさの中に居ることなのです。そこに「私」の居場所を作るのです。 
  ●そもそも気功って何なの?

気功を始めたいと、門を叩いてくる人の多くは、健康のためです。
健康法はいろいろあるのですが、その中で気功を選んだのはどうしてですかと聞きますと、自分は運動が苦手だけれど気功ならできそうだから、と。 または医者や薬やサプリに頼っているだけではダメだと思うようになって、じゃあ何をするかとなって、気功にした。
気功は頑張らなくていいみたいだから、と。

気功は、先生によるかもしれませんが、福岡気功の会では、難しいことは言いません。いい加減です。サボりも、遅刻もOKです。とにかくすぐに成果を求めず、気楽に気長にやっていただきたいので、自分にぴったりの先生と教室を選んでくださいと勧めております。
福岡気功の会には、20年以上も続けている人がかなりいるのですが、健康になりましたか?と聞きますと、「いえ、病気にもなったし、入院もした。病気になって気づいたことがある。それは、病気になっても以前のようには心配しなくなったし、何か大丈夫と思えた。元気になってから振り返ってみると、そう思えたのは気功のおかげじゃないかと思ったんです。」…とまあこんな感想が返ってきました。

気功をする目的は、人それぞれでいいのです。ただ、気功をするにあたって、独占的・支配的な環境は気功的ではありません。つまり、学ぶ立場であっても、先生や功法に頼りきってはいけないということです。

気功という名前もない時代の
昔の「気功」は、一種の修行で、今の世の中で、あるべき人としての理想に近づくための日々の修養でした。
今日の気功にもその要素は残っていますが、現代ではそれよりも、
自分らしく生きていくための素養という意味合いが強いと思います。つまり社会にはいろいろな強要制約があって、抑えられることが多いために、それに順応できない自分、できない自分をダメだなあとか、嫌な性格だなあ…と、思ってしまいがちです。自分のことが好きでないと、ものごとはなかなかうまくいきません。

気功は、その実践を通して、あるがままの自分を好きになる練習をしていると言えます。好きと思える自分にしていくと、言い換えてもいいでしょう。自分に自信が持てて、いつでも自分を思い切り励ませたら、いいと思いませんか。 
 
 
気功の中には、手足を巧みに動かしていかにも身体を洗練させていくものが多くありますが、足はほとんど動かさず、手もぶっきらぼうに上げたりおろしたりするだけのものもあります。

そういう気功は手足を象徴的にあつかっていることがうかがえます。ある意味手足が言語なのです。天・地・人との対話と言えるでしょう。つまり、
人間が大自然の中にあって、その恵みによって生きていることを感謝する祈りのような気功があります。
新中国になってからできた保健気功にはありませんが、古い伝統的な気功の中にはいくつもあります。

そういう気功をしたあとは、気功で健康になろうだなんていうのは、なんかちっぽけなことのように思えます。病気であることを忘れさせてくれるのですから。
ちっぽけな自分。ちっぽけな人間。でも、愛すべき存在なんだよな…みたいな気持ちになります。
健康とはちょっと違う心地よさ。とても、気持ちがいい。気功の醍醐味です。
 
 
     
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