ためになる気功的雑考文集 

2015年まで『深いはなし』『気功エッセー』『身体知/掲載記事』『HP巻頭言』
に分散掲載されていた山部嘉彦執筆文をまとめて収録。
気功そのものについて論じたものは、別途《気功論集》にまとめたのでごらんください。
 171212
巻頭言から引っ越し 
 
     ● ガン哲外来に呼ばれて

札幌の、ハーモニー気功会の小山内和子先生に、こんど札幌に来る時に札幌ガン哲外来の月例サロンで何か話してほしい…と持ちかけられた。〈気功には答えがある〉を口癖とする私としては、断れない。気安く承知しましたと答えはしたが、実際何をどう話すべきか、久しぶりに白紙から書き始めることにした。
ガン哲外来のコンセプトは、ガンにかかって初めて死に直面した患者の精神と、日頃からガン患者を治療することに慣れすぎている医師の日常との間の大いなるギャップを「市民の意識」のテーブルに載せて語り合ってみようというところにある。
だから、気功家として、ガンや死について私は何をどう語ってもいいのだけれど、考えよどむ。
というのは、死に直面している人に対して「客観的な死なるもの」を語っても意味がないからである。しかも、その死なるものは、たいてい人が語ってきたもので、自分がとことん考え抜いて得たものではない。たとえば、気功関連で言えば、南北朝の梁という国で仏教と道教の間に〈神滅神不滅論争〉が繰り広げられて「不滅」派が負けたということになっていることとか、文革さなかの北京の公園で「新気功」と称する一派が大デモンストレーションを繰り広げてガンはこれで克服できると喧伝したこととかを、話せばいいのか。
よくない。
そんなことは何のタシにもならないのだ。というのも、ガン患者が直面しているのは自分の死であり、その死は経験したことのない事象で、いろいろな意味において怖いという感情をまとっているからである。
だったら、何を話せば、タシになるというのか。つまり、そこから考えなければならないのが、ガン哲なのだ。むろん、それは人のために考え、語るのではない。まずは自分のためである。そういう意味で、よい機会をいただいて感謝!なのだ。
小山内先生から、話だけではタイクツだから、何かワークショップを…と言われている。これもまた難題である。どんなテーマだったら、ワークショップがなじむというのだろう。よりよく生きるためのワーク?死を受け入れるためのワーク? どちらをやっても、ブーイングにさらされるのではないか。
生き方にまつわる大嫌いな言葉がある。『私は生かされている』というやつである。それを口にする人は、自分で生きていないいいわけか、自分で死ねないいいわけとしてそれを口にしているとしか思えないからだ。こういうと逆に自分一人で生きていると思っているのか、不遜極まりない、おかげさまという精神が欠落しているなどと言われることになっている。
生死について考えるのに、あと十日ある。
171107
 
 171107
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      ●民度の下落
民主主義は形骸化すると、ポヒュリズム(衆愚政治)に傾くという。形骸というのは外側の体裁、骨組みのことだから、そのものの心とか血肉とか、魂とか、そのものを進化させる種子、DNAがいつのまにか脱落、崩壊、腐乱して機能しなくなっているのに、威勢だけはによくて、そのものらしく振る舞っている状況が受け入れられているということである。民主主義→衆愚政治というプロセスは、古代ギリシャで一再ならず経験しているはずなのに、21世紀の今日、ほとんど全世界に瀰漫している。
日本でも、アメリカでも、ヨーロッパにも、それが顕著に見られるのは、情けない。
ポピュリズムの種子は民主主義の胞中に潜在しており、いつでも胚胎するということであろう。ポピュリズムは民主主義の顔を持つ。個人の表現の自由とか、多数決とか、個人の尊厳(人権)とか、労働の自由とか、男女平等とか…そういう「看板」を前面に押し立てて声高に、主張を通そうとする。しかし、内容がないので、反論を受け付けない。論争回避していきなり多数決に持ち込もうとする。
これは、ある局面では「庶民の知恵」として働くのだが、今このポピュリズムを煽っているのは、国家権力を握っている権勢家なのである。たとえば、習近平、プーチン、アベシン、トランプ…といった連中であるから、それぞれの国内でポピュリズムは否応なく盛り上がる。もっともダメージを被るのはむろん民主主義だが、それだけではない。民主主義の好敵手たる伝統主義(経緯主義)が手痛い傷を負う。
私の考えでは、民主主義は参加者の権利が一様フラットであることを前提としている。最後の決定時点に至るまでの努力とか、妥協とか自制とか黙契などを、斟酌しない。伝統主義はこれらを勘案して結論を得ようとする。これが腐ると前例踏襲主義、事大主義に堕するので、革命を惹起することになる。
ポピュリズムの蔓延しつつある社会では、かならずこの伝統主義(保守主義)が復興してくる。
まあ、どっちもどっちなのだが、家内手工業的職人技能のたぐいがもっとも大きな痛手を被る。つまり、民度が落ちると、買い手がつかない分野があるのだ。
困った風潮だが、手に負えない。

この先、戦争になり、だれもが引き込まれてしまうと思うが、さらにその先の、育たないうちに崩壊してしまう日本の民主主義を再建するのは不可能だと思う。というより、意味があるのかと思う。だって、全部、いかれてしまう可能性が高いのだから。
17912 
 
170911
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     ●女丹功を常識に

仏教も、キリスト教も、イスラム教も、根強く陰険な男尊女卑哲学を基礎として流布されているけれど、道教は趣が異なる。国家が成立してからの古代はむろん男尊女卑的なのだが、金元時代を境にして女の修行体系が登場するのである。これは男権社会において男が女に強いる節操のたぐいとはまったく違って、女の心身の快感に基づく幸せの追求というコンセプトを内包しているのである。

近代社会は男女平等を謳うけれども、それぞれの国家の中で、それが流通しているところは、どこにもない。せいぜい女に男と同じにしてもいいよと言っているだけで、男が女に合わせて生活しますなんてことは口が裂けても言わない。
日本の前近代社会は、男女差別を前提にしているけれども、表看板の裏手で女のいいぶんをうまく徹す融通があった。明治以降の戦前社会は制度の中にも女を大切に扱わなければならないという深層心理が底にあった。男がマザコンだからかな。
しかし、戦後まもなくアメリカ仕込みの「女が男に追いつく」主義に煽られて、女の身体を否定するような労働と言語があたかも女権拡張であると勘違いしている女が金切り声を挙げるようになってきた。女が自分の身体を基礎として意識と思索を育てる努力を放棄してしまったら、世も末だぞ。

気功の前身といってもいい、道教の修行体系の中に、女性性の基礎とも言える感覚訓練、体認力の醸成を含んでいるが、その前時代的結晶
と言えるものが、女丹功である。
女丹功は、内丹術修行体系の中の、女のための特別バージョンであり、「乳を揉んで月経を止める術」などと誤解されているが、内丹術では男も女も換骨奪胎の象として性を越え中性化することを目的にしているのだ。それゆえ、前時代的結晶と私はみなす。

現代の女丹功は、女性が女としての自分を誇らしく認めるための練法である。かつての女丹功は、外見女でなくなることを「要求」する。男もまた、男らしくなくなることを目指すことにおいて、道教は思想的に優れていると言える。しかし、これは「非地上的」であるがゆえに、気功家としては、採れない。
その、女丹功の現代地上バージョンを、会報33号の別冊に載せた。
170708
 
 
 20170710
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       ●小満考
170524
5月21日。今年も小満の季節を迎えた。風薫る五月、初夏の季節のどまんなかである。農暦風にいえば「麦秋」でもある。麦の収穫。ほっと一息つく感じ。これから田植えだ、今年の夏はどうだろうか。期待と不安がその小さな安堵感の上にたたずむ。
小満があれば大満があってほしい。
二十四節気の中には大小対になっている季節がいくつかある。夏至を越すと小暑、大暑。寒さがつのるころには小雪、大雪。冬至をはさんで小寒、大寒と。対になっているという点では秋の白露と寒露も季節の移ろいを感じさせる。しかし大満はない。大満を期待させておいて肩すかしを食らわせるところは、易の六十三卦に既済を置き、最後の六十四卦に未済を置く古代中国人の智慧に通じるところがある。小粋じゃないか。この夏が大満をもたらすかどうかは、この時点ではだれにもわからないからだ。しかし、この季節に小満は訪れる。いいじゃありませんか。それをひとり静かに味わおう。二階に昇るのに踊り場まできた。見上げれば二階の床が見えそうだ。そう、小満は「踊り場」なのだ。
こういうやすらぎ気分は「小康」に通じる。
1990年代に政治的反動をもって中国全土を掌握した江沢民は「わが国人民はここにきて小康を得た」と得意顔であったが、ここまできたら、もう大丈夫だ…と、いろいろな意味でそう思ったはずだ。彼はふつうは大病大患に見舞われながらも順調な回復が先を明るくしている時などに使われる言葉を、経済的復興状況に対して使ったわけなのだが。
ニュアンスは通底するものがある。小満も、小康も、ここらあたりまでなら、地道な努力でたどりつけるという意味で。
ひるがえって気功のことを考えてみると、気功の心というのは、大歓喜や至福を目指すものではなく、また得られるものではない。それを望むなら宗教(や国家的事業などの共同幻想)に依存するしかない。しかし、気功は、功を積むうちにほとんど例外なく微笑的心情をもたらしてくれる。気功的小康とでもいうべきか。ここまでは足並みを揃えてたどりついた。あとは、自分の体力気力と才覚で進んでいくといい。自分の足で歩いて行きなさい。
そんなところではないかと思う。
新緑の中で、やわらかな風に吹かれながら気功に興じる。健康のため…ではなく、ただこの季節と戯れる気功は、小満よりは、贅沢な境地かもしれない。
私の野外教室は、毎週水曜日午前、舞鶴公園内の多聞櫓で。まことに乙であります。
 
 20170504
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170504
 ●気功指導者養成

私(たち)はこの30年間に、30人を越える気功指導者を排出してきた。で、現役の指導員は20人、そのうち教室を担当しているのは8名。残りは、休職中だったり、待機中である。教室開設の以来があるわけではないし、教室を分割しなければならないほど受講生が多くて困っているわけでもない。むしろ会員が少なくなってきて存続の危機?にさらされているといっていいくらい。そういう中でさらに指導員を養成するのはなぜか。
以前は教室にあらたに先生を配置するために、熱心な会員に「先生をやってくれないか」と声をかける一本釣り方式でやってきたのだけれど、最近になってから、自分一人が好きな気功を人生の友とするだけでは飽き足らない人に、あらためて気功を学び直し、理解を深め、気功を何も知らない人に気功の本質をさりげなく伝えられるだけの実力を養成するという方針で研修生を募集し指導者としてどこでも通用する教養を身につけてもらうことにした。
養成する側の私は、文字通り全力投球で剛速球を投げ込む。受け止められるかどうかなんて考えない。受け止める側の研修生が、センセイもうちょっとゆるいタマ投げてよ…と言われたらちょっと力を抜くかもしれないが、球種だって全部使うつもりで臨んでいる。形ばかりの試験をするのは、そのタマを受け止められるだけの力があるかどうかをみるためである。
会員の中には20年以上通ってきた方も少なくなく、10年以上在籍の会員は100人を越えるのではないか。そういう古参会員は、気功のことならもう何でも知っていて体験済みで目も肥えている。新任指導員がそういう人のいる教室で代講するとなると、ヒヤヒヤものだ。
けれども、試験を受け研修に励んでいる人は代講したり、担任のバトンを引き継ぐために指導者になるとは限らない。気功を普及するのには、教室で教える以外に、いろいろな方法がある。どんなやりかたであれ、世間で気功への関心が深まり、理解が広がれば、それだけでも普及の第一歩だ。その第一歩が気功に対する深い理解と確かな技術に裏打ちされた教養によるなら、その気功は廃れることはないと思う。どんなやりかたがあるか。
すっかり年をとってしまった私には、私塾を開設して塾生を育てる…程度のことしか思い浮かばない。教わった人がその才覚で、新しい普及方法を考えてくれればいいと思う。方法はいろいろあっても中身がしっかりしていることが大切だ。
というわけで、今年度も3人の研修生が、特訓?を受けることになる。
 
 
 20170305
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 170305       不完全な治療

最後まできちんと完成させる…というのは、とてもよいことである。
という価値観は多くの日本人の倫理観にかなったものとして受け入れられていると思う。国会答弁を聞くともなしに聞いていると、首相が「しっかりと」「はっきりと」「きちんと」を連発している。このての副詞を多用すれば、責任を果たしていると思ったり、思われたりするという経験の中に私たちは住んでいるのだ。これについては上も下も右も左もない。中途半端や、いい加減や、なおざりや、うやむやが、日本人は嫌いなのではあるまいか。
いつから?
それはたぶん、明治以降であろう。というのも、幕末から明治初年にかけて来日した欧米人が、異口同音に日本の庶民はのらりくらりと交わしたりいなしたりしながら人生を謳歌していると、書き留めているからである。約束しても守らなかったり、それをまたうるさくとがめなかったりというのは、庶民の智恵でもあったかのようだ。どうせ、なるようになるんだ、と。
そういう態度、倫理観はいけない。交わした約束は守ろう、そうでないとこうなる…と、明治の教育者はまあ、頑張ったわけだ。それが150年ほど積み重なって、70年前の戦争でこてんぱんにやっつけられたあとも、日本人はマジメに、きちんとやることをよしとしている。
さて、本題。
テーマは「健康」である。健康についても、日本人は、テキパキと片づけたがる。病んだ心身というものは、複雑に絡み合って現状を支えているわけだから、一筋縄ではいかないものだ。だから、ていねいに観察することと、試みては経過を見ることが、結局快癒に至る近道であることが多い。指導する立場、施術する立場にあっても、やりすぎないことが大切である。
気功なんていうのは、その、のらりくらりの代表で、効いているのかいないのかわからないけど、もう習慣だから…という愛好家も少なくない。不完全でも、いい加減でも、心身はその刺激を受け止めて、合格点をくれることがよくある。
自分で自分の心身を調律する、ケアするというケースでは、とくにこのことを承知しつつ、なるようになるその流れを見るクセをつけていきたい。
まあ、きちんとしなければならないこともあるので、「両行」路線でどうだろう。
 
20170114
巻頭言から引っ越し 
 170114  あけましておめでとうございます

去年は世界各地で地鳴りを伴うようなある意味不気味なニュースが次々と耳に入ってきてしまいましたので、新年を迎えてこれから平和で明るく幸せな1年が始まりそうだとは思えない人が多いのではないでしょうか。私が書いた年賀状にも「
浮足立ち、ときに殺気立つ世相の中で、毅然と、平凡と普通を通せますように」と記しました。もっと呑気に穏やかな物言いでもよさそうなものを、つい世相に同調して身構えるようなことを書いたのは、自分の中にもどこかに困ったことになったなあという思いが募ったからです。
振り返ってみると、この困った状況は20世紀の初めにはもう芽をふいて、百年かけて腫れまくり、21世紀になって膿が吹き出した感じなのであります。今年は21世紀になって17年目ですが、その膿がだんだん広がって世界のあちこちで流れ出したように見えるわけです。この勢いが強まりこそすれ止まる兆候は見えませんから、どことなく落ち着かない。すぐに浮足立ってしまうのです。
アメリカの大統領になるトランプという人が敵視しているのは知性とマスメディアですが、トランプはSNSとかツイッターで直接自説を訴えようとしている。マスメディアはオレの言うことを加工して伝えるから許せんというのですね。しかし、言い換えると、オレのいうことを聞けないのなら、不利なことになるぞということで、これは権力者が言えば帝国主義者の言い分で、庶民が言えばポピュリズムです。歴史上、こういうバカにつける薬はありませんでしたし、今日もない。自由競争を認める社会では、優れた者が讃えられ、生き抜けるので、凡庸は卑下される。だからここしばらくは、薬は見当たらないのです。
ただ、無意識無欲の凡庸には可能性はないけれども、強度を伴った確信の凡庸には化ける力があると見ます。それが、「毅然と、平凡と普通」の意味です。
とにかく、こういう過敏な世間では、確かな平常心(普通のこころ)がモノを言うんだと、思うのです。

ともあれ、年は明け、時は走りはじめました。幸多かれと、祈ります。
 
20170114
古典エッセー 
       荘子の凄味

2月に発行予定の会報の記事を書き始めた。福岡気功の会必修「課目」として、提肛呼吸をマスターしてもらおうとあの手この手で攻めている。歴史的に呼吸法の変遷をみておくのもよかろうと、荘子の「息」と「呼吸」を尋ねると、内篇の大宗師篇に

古之真人。其寝不夢。其覚無憂。其食不甘。其息深深。
真人之息以踵。衆人之息以喉。
屈伏者。其嗌言若哇。其耆欲深者。其天機浅。


とあるのを見つけた。
前の2行は何度も引用したことがあったが、ふと最後の1行は何だ?と立ち止まり、古典の凄味に圧倒された。今、仮に意訳すると
「屈伏すると、人は言葉は喉に詰まり、へらへらと淫らな音色となる。欲が深いと、天機は浅くなり道を失う」
突然、脈絡を無視してこういう章句が挟まるのが古典。古の真人の話をしてたんじゃないの?
そこに屈伏者と耆欲深者が登場する。古の真人と対になっているのは衆人だった。衆人は屈伏者なの?耆欲深者なの?そうとは言わない。だが、真人は、屈伏せざる者で、耆欲浅き者で、天機に寄り添う者であることを暗示している。
 
161227
気功雑考
 
        長友のオリジナルプラン?
161227
サッカーの長友佑都が『ヨガ友…』という本を出した。飛鳥新社からDVD付きで1200円ほどの本らしい。新聞の広告に載っていた。出せば50万部くらい売ってしまうらしいので、この値段で採算が取れてしまうようだ。この本のタイトルはナガトモに引っかけてヨガトモと名付けた新式のヨガということだが、本屋も著者も鼻息が荒い。長友にはもちろん女性ファンも少なくないだろうが、だんぜん少年ファンが多いだろうと思う。この本の読者も、若い男のほうが多いのではないか。ヨガといえば、日本では女だらけだから、一矢むくいた感ありだ。
この本にはタイトルに続けて、長ったらしいキャッチフレーズが付いている。「ココロとカラダを変える新感覚トレーニング」というのだ。気功家である私がいうのもヘンな話だが、長友が提案する《ストレッチと体幹トレーニングとヨガ呼吸とマインドフルネス瞑想》という3種類のワークを束ねたセンスは見事である。
これは長友自身の人格強化というコンセプトの反映であるのだろう。彼はインテルで最初の1年目に、周囲の想像を絶するほどのタフネスにびびってカラダが動かなかった経験に学んで、アスリートはココロが強くなければたちまち振るい落とされるという現実から再出発したのだ。
かれは身長170センチ体重68キロだという。同世代の男の中では小柄である。世界中のサッカー選手の中でなら小さいほうから数えて何番目というほどであろう。テレビで試合を見ると、ターボエンジン搭載のコマネズミのように初めから終わりまで休むことなく走り回っているからすぐわかる。たいしたものだ。
そういう心身をきたえたそのメニューがコレというのだったら、オレも試合に出て走り回りたいと思っている日本中の少年チームの小柄なサッカー選手が、きっとこの本を手にとって、やってみようと思うにちがいない。
気功にも、長友みたいな広告塔がほしいな…と思ってしまう。
ヨガのいいところは、手前勝手にアレンジしてもいくつかのポイントを押さえてさえいれば効果を引き出せることだ。そして長友の賢いところはフィジカルなところだけでなくメンタルなところもヨガから学んだことだ。それをマインドフルネス瞑想という別メニューとして立てたところがうまい。
というのも、気功もいわゆる功法のパッケージで心身を練ろうとすれば家元にアタマの上がらない丁稚小僧で過ごさなければならないようなところがあるからである。気功を家元のためにやるのでなければ、長友のような発想が不可欠だ。
気功でも、導引+亀息+静坐のように組み合わせるセンスが問われている。

 
 161226
気功雑考
       海馬の萎縮…

一昔前まで、脳の中にある海馬なんて、誰も注目しなかったが、昨今ではヒーローのような扱いである。それは、海馬が「認知症」のカギを握っているらしいと考えられているからである。
A子さんは67歳、夫が最近物忘れがひどいなと気づいて病院で精密検査を受けることになった。その結果、海馬が萎縮してます…と判定された。
人は中高年ともなれば、物忘れぐらい当たり前である。いわゆる「忘れ物忘れごと」だけでなく、人の名前やモノの名前が出てこない、言った言わない、聞いてない、など日常茶飯事である。アナウンサーじゃないんだから、多少のことなら、目をつむり耳もふさごうではないか。
そう、多少のことなら、だ。Aさんの夫は、妻のもの忘れが度を越していると感じて病院に連れて行ったのだ。それは、忘れていたことを謝らず、すぐわかるウソを言ってごまかそうとしたからである。
これが海馬の習性なのだ。
人は大脳新皮質の前頭前野で受け止めた情報を、脳央にある海馬に送り込んで整理整頓させる。しかし、海馬が未熟だったり、疲労困憊していたりすると、作業を放棄して、したふりをする。黙り込んでしまえばいいものを、ごまかすのだ。こどもの場合はかわいいウソになる。しかし、ババアだと憎たらしかったり、哀れだったりする。A子さんの海馬は疲労困憊だったのか…。
そうかもしれないが、そうでないかもしれない。というのは、人によって海馬の使い方(つまり情報整理の仕方)が違うからである。海馬を疲れさせるようなモノの考え方をしてしまう人がいるのだ。
もともと考えるのが好きで、数学が好き、推理小説が好き、空想も大好き、少女のころにはフリルが大好きなんていう人なら、白髪になっても海馬は疲れないのだが、否応なくガマンさせられて、思ったことが言えなくて、自分で自分を合理化して慰めるようなクセを知らぬ間に身につけてしまったA子さんのような、表面にこにこ女は、ストレスをストレスと感じないで、海馬を萎縮させる。
海馬は、いつもならシゴトをさせられる時間に「自由にしていいよ、ハイお小遣い。いつもありがとね」なんて、臨時に休みをもらうとたちまち元気になるのだが、ネクラな人は「どういうつもりなのかしら」と詮索し、疑心暗鬼になっちゃうので、海馬はますます疲れる。
A子さんの海馬は、生き返るだろうか。それは夫の世話次第?いや、本人の心がけ次第であろう。67歳。まだ若いというべきか、人に聞くとこの類、けっこう多いのだそうだ。団塊世代に認知症が忍び寄ってきている。

 
 
161023 
気功雑考
●睡眠-自然治癒力-気功
9月28日放送のNHKTV『ためしてガッテン』は、私のアタマを刺激して、思考は揺さぶられた。この日のコンセプトは《
現代人は前頭前野で受け止める過剰な情報をつぎつぎに海馬というところに送り込むので海馬はヘトヘトになっている。海馬を元気にするには前頭前野の情報を遮断して夢見心地にすればいい。すなわちアメリカ由来のマインドフルネス3分間瞑想、これである》というわけで、瞑想を「ウツ、ストレス、不眠、認知症予防…」など「健康」のためにやりましょうという画期的?な提案なのであった。
これを観た、認知症におびえる何百万人もの高齢者は、その晩から3分間でボケないのならと、雪崩のごとく瞑想に勤しんだことであろう。哀れと言うまい。智恵なき庶民の悲しい性であるから。いきなりやったって雑念にさいなまれ、きっとうまくいかなかったであろう。

しかし3分間瞑想がうまくいけば前頭前野の脳波がθ波になる。θ波になれば海馬が元気になる、というところがこのハナシのキモなのだ。目を閉じて呼吸に意識を集注するだけでだれもがヨガの行者空飛ぶナルセ師のごとくθ波になる保証はまったくないが、そこは番組では一言も触れない。インストラクターがいて、毎日一緒にやっていけばそのうち、うまく行く人がいる。その人につられて何人かがうまくいくようになれば…というのが「施設サイド」の目論見であるのだ。すなわち、刑務所、軍隊、病院、老健施設、学校…である。
おいおい…とは言うまい。

私は、しばらくして、ひらめいた。我田引水の水路ができたのだ。
気功では「動静結合」を心がけなさいという。理由は語られない。経験則である。鬆静自然だって、循序漸進だって、そうすればうまくいきます、成果がありますとしか言わない。だからすなおな人だけが気功の成果を手にすることができるのだ。
とはいえ理由を尋ねるのは現代人の性である。気功家は、初心の現代人にそこそこの答えを用意してやらねばならない。しかし、動静結合にはよい答えがなかった。この番組を観るまでは。
周知のように睡眠は、疲労回復・成長・慰安・治癒をもたらす不可欠の生活機能である。睡眠力を向上させるためには、レム睡眠とノンレム睡眠のカップリングユニットを充実させることだ。上手に夢を見て、上手に寝返りを打つこと。それを脳波に還元すれば安定したθ波とδ波となる。
そのための直接法は就寝前に○○をする…である。

間接法こそ、気功。しかも「動静結合」である。動功はα波で。静功はθ波で。つまり睡眠のθ波とδ波と好対一をなしているのだ。
気功のもっとも低次元のしかし必須の要求(目標ではない、前提である)は、健康である。その健康は深き睡眠によってもたらされる。睡眠が元気をリセットしてくれるからだ。その睡眠と同じ構造の気功をすることによって、睡眠力は向上する。気功はよき睡眠をもたらし、治癒と慰安をもたらし、毎朝元気の素をリセットする。おのずと健康になる。
ということではないか。
★詳しくは発行したばかりの会報29をごらんください。 
 
160922
時事エッセー
  20160922
●相模原事件を封印したがる奴

 窮鼠猫を噛むという。追い詰められた者は圧倒的な敵に対してさえ歯向かう。一矢むくいようとするのだ。だから、(悪い奴だからといって)弱き者を追い詰めすぎてはならぬ…。一寸の虫にも五分の魂…などといって、日本人には強者が目をつぶる、大目にみる、という「智慧」があった。               
 昔、戦争(第一次世界大戦)があって、戦争に負けたドイツ人は戦後処理過程でフランス人やイギリス人にギュウギュウにいじめられて、堪忍袋の緒が切れた。もう、やってらんない。と言って、標的を作って民意を圧縮し、ついに復讐戦を開始した。ヒトラーの作った標的は、自分たちの社会の「役立たず」と憎たらしい「エリート」であった。前者は精神病患者と障碍者で、後者はユダヤ人を指す。

 昔(明治中期~昭和前期)、戦争をしかけては勝っていた日本人は図に乗って、朝鮮を盗り、満州国をでっちあげ、中国を蚕食しかけてアメリカに待ったをかけられ、口には出さねど「おまえらだってやってるじゃないか」と思っていたから、石油を止められたとたんに南進を開始したので、戦争(日米戦争=太平洋戦争)になってしまった。
 戦争になってからは善悪はない。強いか弱いかだけ。で、追い詰められた鼠が、猫を噛むために、特攻という戦法を編み出した。
 湯川れい子さんが「桜花」の神雷部隊に志願し、部隊の分隊長として終戦を向かえた次兄のことにふれて語っている。
「桜花」は機体に爆弾を嵌め込んだ人間ミサイルで、母機から放たれると滑空とロケット推進で敵空母を狙う。車輪など降着装置は一切ない。45年4月の沖縄戦で「桜花」を発見した米軍はあきれかえりコード名を“BAKA”とつけたほどだ、(7/27毎日夕刊)     
 
 日本人とドイツ人(
ヨーロッパ人)では、鼠としてのDNAが違うのか、彼らは攻撃の標的を弱者に向け、日本人(非近代人)は自虐行動に出た。 
 かつての日本人の“BAKA”に学んだアルカイダやISは、今、欧米に百年前の復讐戦を仕掛けている。自爆テロだ。
かつてのドイツ人の狂気に学んだ日本人刺青男は、つい先日45人におよぶ重度障碍者を選んで殺傷した。浄化殺人だ。「ヒトラーが降りてきた」と言って悪びれるところがないという。
 ヒトラーを狂人として隠蔽できないように、刺青男を一人の狂人として隠蔽することはできない。
 追い詰めない日本人の智慧はどこに行ったか。ならぬ堪忍するが堪忍と言った先人の後裔であることをかなぐり捨てて突撃した日本人には、その思想的反省がない限りは、自爆テロや刺青男を非難しても、口先だけの政府要人のごとき間抜けな揚言となる。
 その揚言をあざ笑うように、必ず、第二の刺青男による弱者殺害事件が起こる。ヒトラーと桜花を根底的に克服しなければ、人類は戦争(に訴えること)をやめられない。
(8/10『身体知』天火同人より。9/22 upped)
 
 
160418
時事エッセー 
20160418

熊本地震で被災された方にお見舞い申し上げます。

直接被害を受けなかった方も心を痛めています。縁の有無に関わらず、心は共振しますから。

地震は、地上のモノを壊すことはできますが、心を壊すことはできません。身体を壊すことは、できる。身体はモノでできているからですね。

人間は、(大雑把ないいかたですが)身体と心でできています。心身ですね。心身を統括しているのが「私」です。

心だけ、身だけでは存在できない。私の心・私の身としてしか存在できない。私が私でいられるのは「いのち」が宿っているからです。そうでしょう。

地震が起きて、誰かが死んだりけがをしたりする。それを情報として受け取ると、人は心が揺さぶられる。人間の身体性を介して、モノの破壊が心を撃つわけです。

それで、心が痛む。この現象はいわば「いのちの自然」ですが、それで自分のほうは平和で幸福だけど、熊本の人は気の毒だな、と思う。で、義援金を送ろうとか、ボランティアに行こうとか、そういうふうに考え、行動できるのはある意味健全なのです。

ところが心には逆向きの反応もある。真夜中にグラッと揺れる。震源地直下ほどではないけど、揺れる。窓にひびが入るだの、花瓶が割れるだのと。寝ていてモノが落ちてきてちょっとけがをしたとか。

それを「いわれのない攻撃」として受け止めると、これはもう、身の怪我ではない。身のささやかな傷を介して、心が痛むという以上の怪我になります。ショック(心の衝撃)です。

これは、かんたんには治らない。人は、いわれのない攻撃に弱いのです。だから無意識のうちに「いわれ」を求めて、納得したがる。つまり、こじつけて受け入れて、仕方がないんだと、収めようとします。

昔の人は、そういうふうには対処しなかったんじゃないか。つまり、理由を求めなかったと思います。理由や原因を探る態度は、西洋的・近代的習性だと思います。ものごとについては、それでいいけれど、心については、それは通用しない。適用外です。心はモノじゃないから。

心には、心の栄養を補給してやれば、済むのです。
 
 
160919
時事エッセー 
 つづき 160419

心の栄養。
これは、どうも身体の状況によって異なる。ある栄養が状況が異なることによってまったく無効になるとか、逆に心を損なうということはないのですが、同じものでも効き目がちがってくる。

その最たるものが「肉親の愛情」です。たとえば母の愛情。これは幼少期には必要不可欠な心の栄養だし、これにまさる栄養はないのですが、60になった時、85の母の愛情は、注ぐ側の愛情は主観的には大でも、60の娘にとってはちょっと勘弁してよ…となりがちな栄養、不要な栄養です。

そういうものもある一方で、いわゆる真・善・美と形容されるものは一般性と普遍性をもつ栄養素です。言葉、行為、音楽、美術などによってもたらされます。

古来、宗教は門徒・信徒に心の栄養を注ぐのに゛愛情の変態である「慈悲」「憐憫」などを用いるのを常としてきましたが、気功は(心を調えるために)それを採らない。気功がそれをやったら、普遍的な愛を標榜する宗教に堕する。堕してるところ、ありますよね。気持ち悪いところが。

では、こういう天災に見舞われて、たいせつなものを失ってしまった、失望し、挫折し、失意の底に沈んだ人にとって、生きる意欲に火をつける心の栄養とは何なんでしょうか。

むろん、この問いに対する正しい答えはないのです。

しかし、失意の底からは意識の濁りも消えています。ですから虚脱感が訪れます。からっぽ、がらんどうですね。うちひしがれるといっても、なかなかここまで来れないのが祟り目なんです。人は励まされると、つい乗るんです。いったい乗ってどうするんだよ。
何にもないんだな、誰もいないんだな。何にも聞こえないよ。何もできそうにない。…だから、励ましに乗らず、乗り過ごせというんです。

心は空っぽ。でもここには、私の身体がある。凄い身体が。6億年分の知性体である身体が私には与えられているという、これほど恵まれた条件はない、ということに気づけばいいんじゃないかな。

だから、最初の、心の栄養は、意外にもこの「静一」に気づくことだと、私は思うのですが。
今、ここにいられるのは、私に身体が備わっているからだ…とは、皮肉なことではあります。

まず、身の回りにあって、触れられるもの(たとえば自然)のなかに、美しいものを発見すること。それが心の栄養になります。
 
160509 
気功雑考
 中国気功の2000年


気功にとって2000年は節目だった。
20世紀の中国気功は、そのまま世界の気功であり、日本の気功だった。
それが「法輪功事件」をきっかけにして、中国気功は大きく変質した。

というより、世界気功であり続けることに失敗した。中国当局は国内で放任されてきた自由気ままな気功を整理(というより処分)して、国定教科書とでもいうべき健身気功と、医療現場の気功医師による医療気功とに集約して仕切り直した。

その衣替えのための休止期間中に、中国気功は大衆から見捨てられてしまった。休止期間5年間に、大衆のほうが衣替えしてしまったのだ。

日本の気功は、それまでの約15年間は中国気功の学習期間であったが、ほどよいタイミングで、自立のチャンスとすることができた。
…と思ったのは私だけかもしれないが、今思うと、中国があのまま社会気功の放任を続けていたら、私も漫然と中国気功依存に堕してしまったかもしれないなと、思うのである。

私は老子、荘子を読んでいたので、中国の古典に抵抗がなかった。それに道教研究の第一人者であった福永光司先生の薫陶を受けたので、気功の古典にも関心をもって臨んだ。

中国で健身気功が発表されたとき、私はそれらがどのような思想に基づいて古典を解釈したのか、たちどころに理解することができた。なぜなら、健身気功の程度が低かったからである。
こんなんじゃ、人々の心をつかめまいと直観した。健身気功発表からもう10年以上たつが、膨大な予算を投入して制作したにも関わらず、まったく芽が出ず、笛吹けど踊らず状態だ。

今の中国人には、二つの大きな難点がある。一つは古典という権威、共産党という権威に対して忌避的ないし無抵抗的であること。もう一つは想像力の欠如、自由な発想に乏しいこと。
こう言ってしまうと身も蓋もないが、気功に関してはそうとしか思えない。

たとえばどういうことがあるか。
次回、六字訣という気功について述べてみたい。
 
160500 
気功雑考
六字訣という気功?

気功の淵源をたどっていくと、道教・仏教・儒教の修法や武術、医術の築基功にたどりつく。中でも道教が伝えるものはその昔、山に入って不老長寿の仙人になる修行がもとになっている。
この修行は、超人的な能力を開発するものではないかと思われがちだが、むしろ天の完全性を修行によって獲得するという志向性をもっているため、心身を過不足なく調えることが目標になった。

そのため、導引吐納も陰陽五行を調えるような様式を備える傾向が強まった。古い伝統を持つ気功といえば「五禽戯」「六字訣」「八段錦」だが、「五禽戯」と「八段錦」は導引(ストレッチ~体操)で、これは復元しやすかった。しかし「六字訣」は吐納静坐功なので、文献には載っていても、具体的な様子がわからない。

私が最初に習った「六字訣」は、馬礼堂老師の伝える「発音+動功」気功だが、これを現代北京語発音でやる。腎の「吹字」なんかは、日本人にはとうてい無理な発音で、とても日本で普及できない。
果たしてそんな代物が普遍的だと言えるだろうか。常識的思考をもってすれば、中国語の発音という特殊な素材自体を捨ててかかるべきであろう。まあ、今の中国人には無理な相談ではあるが。

第一、文献に登場する最初の六字訣は、晋が滅びた後、江南に興った梁という国の道士・陶弘景が示したもので、それが現代に至るまでほとんど変わらずに伝わっている。今でも江南地方と河北地方の発音は全然ちがっている。まして、1500年も前の発音と今のとでは大いに違っているはずだ。常識的に考えれば、今日の発音で六字訣をやろうとすること自体無謀である。

だから、復元にあたって発音気功とすることをまず捨ててかかろうと思う。いったい、陶弘景センセイは、六字に何を託したのだろうか。むろん、陰陽五行の調律を想定しているのである。発音でないとしたら、何か。

結論から先に言えば、六字はそれぞれ、その字を発音する時の口型を作る表情筋の緊張によって誘導される顔面の経絡の気の流れを想起させる訣なのである。
顔面の経絡とは、陽経である。陽経の起始点が、目、眉、鼻、口、耳…のすぐ外側にある。顔面は、陰経の気が陽経の気に転ずる場なのであるから、六字訣は、その転換を促し、気の順行を促す吐納法であることは、火を見るより明らかではないか。
(つづく) 
 
161000 
気功雑考
 静坐は、なぜ気功と言えるのか

先日の教室(カルチャーセンター)に、体験希望者(女性)がきた。
ジムのトレーニングや体操とは、ちょっと感じが違うと思いますが、見よう見まねで、ついてきてくださいね。…と伝えていつものように、からだほぐしからスタート。案の定がんばってグイグイやるので、10の力があっても6か7の力でおやりなさい、ムリをしちゃいけない。頑張らない、ガマンしない。まず、それを身につけるんですよと。
ところで、あなたは気功をどんなものと思って、ここにいらしたの?
と聞くと、
気を取り入れて、元気になれるかなと思って。気功って、気を取り入れる方法なんでしょ?
と答える。私は少々意地悪く、気って、外にあるのかな。内側にはないのかな。…と反問して、この考えの延長線上に、気功師の気を病人に放射注入して病気を治してしまう「外気治療」があることを思い起こした。彼女は治してもらいたいのではなくて、自分で気を取り入れて元気になりたいというのだから、よい心がけと言える。感心である。
中国人気功師は、自分の気を患者に注ぐわけだから、気が減少するのである。そこで、外気を放射したあとは、自分で気を補給しなければならない。その方法こそ、気功だと言っていたから、彼女に紹介したいくらいだ。
実際、気功師は治療後真剣に気功をする。そして気が満ちてきたら、また外気治療にいそしむ。その気功は、さまざまだが、必ず最後に静功をする。取り入れた気を自分の内気としてなじませるためだ、と言う。さまざまといっても、取り入れる感じを彷彿とさせるためか、呼吸法と引き込み動作を組み合わせたものが好まれる。手を前方に伸ばして「気」を鷲掴みにして引き寄せながら胸元まで吸い込んできて、腰を沈めながらハアアッと丹田まで吐き下ろす…というような。これを何度も繰り返す。真剣に。バカバカしいったらありゃしないが、気功師は真剣そのもの。これを教えてくれた馮志強老師も、真剣にその気になってやるんだ!とおっしゃったが、私は、とてもその気になれなかった悪い生徒の標本である。
それはさておき、大昔の仙人修行では、東の空から上がってくる旭日の真気を吸い込んで口中で唾と混ぜ合わせ、ゴクリと飲み込む服気術を行なった。これは今日まで、ちゃんと伝わっている。
しかし、私は採らない。
もっと身近に、だれでもできる確実な元気回復法があるからだ。睡眠、これである。
なぜ、疲れ切って寝てしまえば、翌朝には元気に目覚めるのか。睡眠中に、体内で何が起こっているのか。体内の、不随意運動として特記すべきなのは、臓器内の「濾過」作用である。臓器は起きている時間にも動いているが、エネルギーの大半は、アタマと手足の運動に費やされる。横臥して無意識になった睡眠中にこそ、血の濾過がせっせと行なわれる。小腸で、大腸で、肝臓で、脾臓で、腎臓で。さらに、疲労回復のため、夢を見、寝返りを打つ。
濾過を意識的に補助することはできないが、夢見と寝返りは「意識的に」できる。
夢見は、静坐によって、寝返りは、動功によって。また、睡眠の順調を促す寝息は腹式呼吸によって。とくに、夢見は、前頭前野の脳波がθ波のとき、海馬の活動が活発になって、アタマがリフレッシュされる(脳疲労が回復)という。
θ波とはまさに、静坐がうまくいったときの、脳波である。α波基調の動功で、血中の「疲労物質」たる乳酸が減少することは30年以上も前に「証明」済みである。
どうしても、外から気を取り入れたければ、前記の「気功」をするしかないが、元気になりたいというのなら睡眠力をアップするか、動功と静坐を組み合わせたふつうの気功で睡眠を補強すればいいのではないか。
静坐が気功の中で重要なのは、耳を澄ませば、感覚が研ぎ澄まされて、思考も動作も感情も洗練されるからである。これはアタマがリフレッシュされてからの課題と言えよう。
 
 
161000 
気功雑考
 気功の中の疲れない遊び

活動すると疲れる。エネルギーが減る。なくなってしまえば死ぬのだから、活動する昼間の時間帯は、死のエネルギー時間帯だ…と考えた古人は、昼間を「死時」、夜間を眠って蘇生する時間帯であると考えて「生時」とし、この生時に拍車をかけるために、真夜中にせっせと修行に励むというオバカなことをしておりました。
その傑作が、二十四気導引座功なのであります。

オバカな…というのは、むろん近代人の観点、認識であります。気功は体験してみれば解りますが、やったあと、疲れが取れ、元気が湧いてくるのを実感できます。血中の乳酸値が落ちたり、血圧が安定したり、視力があがったりしますので、「科学的に」も、気功は疲労回復させるとお墨付きをいただいております。

しかし、気功のどの要素が、この効果をもたらすのかについて、気功家の側からの説明はないのです。やっている気功家に説明できないのですから、外から観察したり、計測したりするだけの科学者に説明できるわけがない。そのため、気功はアヤシイと思われたままであります。やっているほうは、思われたって、やれば爽快だし元気になるのだから、頓着しない。…というわけで、気功はなかなか受け入れられずにおります。

私は気功を普及させたいと思っておりますので、そこをなんとか解りやすく説明しようと、この30年間、折に触れて「発信」してきましたが、決定打がありません。
この拙文も、大向こうを唸らせる筆致とはいきませんが、まだ気功をよく知らないままこのページを訪れた方に、読んでもらって「へえ…そうなんだ」と思われたくて書き始めたわけです。

さて、気功をすると、からだを動かすわけですから、エネルギーを減らします。要するに、意識的な活動は、エネルギーの消費なのです。気功も、運動、体操としてやれば、有酸素運動であろうとなかろうと疲れるのです。つまり気功にとって意識的運動は付随的な要素なのです。
睡眠中に起こっていること(蘇生現象、成長現象、治癒現象…)を考えてみましょう。寝返りしてます。息してます。夢みてます。なのに、朝になったら元気になってる。昼間の疲れる生活とどこが違う? 無意識だということと重力に逆らっていないということでしょう。
昼間は眠っている時のような無意識では過ごせません。横になったままというわけにもいかない。しかし、できるだけ無意識、できるだけ重力に逆らわないという条件で、「たのしい」ことをするなら、元気になるんじゃないか。

気功は、病気を克服するためとかいって一生懸命やると、効かない。きちんと正確にマジメにやると、効かない。意識的だからです。たらたらといい加減にやったら、効く。
気功の中に、遊びの要素がある。人は、夢中になって何かをしていると、たのしくてあっというまに時間が過ぎたりします。あるいは飽きるまでくりかえしたりします。疲れますか。気がつく時は、やり過ぎて、疲れを覚えるのですから、その夢中になっている時は、無意識のうちに元気を生産している、と考えられませんか。

気功の中の、その夢中要素を、遊心(こころあそばせ)と言っております。
気功の中の遊心をよく表したものに、会報28号の「心の気功」がありますので、これを下に掲載します。関心がある方は、トライしてみてください。(や)8/24
  
 
160800
気功雑考

 
      気功には答えがある



 今年始め、藤沢にお住まいのNさんから、『遊働する身体』と題するブックレットが送られてきた。その巻末のページに「次号は気功を特集する」という予告があった。このブックレットは辻堂出版が発刊とあるが、Nさんが独りで取材、執筆、編集、制作する個人誌であることが知れた。私に送られてきたのも、次号への執筆依頼を含むものかと感じたが、実際、ことはそのように進んだ。
 ちなみにNさんはオイリュトミストで、デューラーの研究者。1985年に私が主宰した伊勢気功合宿の参加者の一人。
 いったい、私に何を書かせようというのか。
 たしかに私は、日本に気功が紹介されはじめた1980年代半ばから、ずっとこの畑にあって、気功を教えることで生活してきた。つまりこの30年間、気功指導だけで糊口をしのいできた希有の人間である。というのも、ほかの気功家たちは例外なく、どちらが本業でもいいが、カネになる副業をもっているからである。
 おかげで?気功がもてはやされていた時期はそれなりに羽振りがよかったが(といっても年収400万に届くかどうかの稼ぎであったが)今ではすっかりさびれて、往時の半分にも満たない程度の収入で、夫婦二人の生活も四苦八苦の貧乏所帯である。こどもたちが学校通いしていた時分にそこそこに稼げてよかったとつくづく思っている次第だ。
 それはさておき、そういう儲からないスタンスで気功に携わってきたわけだから、その視座から見える内外の気功も、他の諸賢が見たものとは違って見えるはずだ。
 むろん、Nさんはそれを見越してオファーしてきたわけではなかろうが、なぜか、この30年間、何やってきたんですか、どんなきっかけで気功を始めたんですか、これから日本の気功はどこに行くんですか、などとこの業界にいる人にとってはクソみたいなことを執拗に尋ねるのである。私がクソというのは、もう意味がないことというだけでなく、異臭を放つものでしかないからである。30年もやってきたら、離合集散はもちろん愛憎恩讐に事欠かないからである。気功をやっていて利害得失毀誉褒貶なんて、情けない話だが、実はないといえば嘘になる、どころの話ではないのだ。
 しかし、私としても古希を前に、これまで積んできた「功」を、還元して届ける仕事は残っているわけで、そのためにも過去を整理しなくてはならない。
 Nさんは当初、何人かの方に文章を書いてもらうつもりでおられたが、私が事情通ぶりを発揮して内外の「部外秘」情報を教えてやったら、勝手に書かれたら特集がリバイヤサンのごときものになりかねないと悟って、インタビューに切り換えたのではないか。憶測だけれど…。
 だから、気功はこういうものだ…という説明調の文章も、自分はこういう気功をやっている…という紹介も、記事になったものを読めば濁りが鼻を突くことになる。
 それで、気功家を自認する気概があるのなら、そして手許に智恵も経験も技能もあるのなら、気功には答えがありますよ、どのような要請にも答えられるだけのストックがありますよ、という態度を示すことが大切なんじゃないかと、思うのである。
 たとえば…
 いや、よそう。ここに書いたって役に立つまいから。 
 
 
121008
時事エッセー
 
 日本をどんな国にしたいか  2012.10.8   

 311以後せめて2年間ぐらいは、今後とも日本に住み続けるに違いない自分としては、この日本の国にはどうなってもらいたいか、世界はどうなってもらいたいか、いろいろな考えを聞きながら、じっくり考えようと思いました。
 できるだけ長く将来を見て発言する人の声を聴いてみようと思いましたが、そういう人は少ない。原発一つ取り上げてみても「とにかく止めろ」「経済のことを考えたらとりあえずはいいじゃないか」と、右も左も老いも若きも、驚くべき短絡無思慮の大合唱です。
 私は原発は反対だが、首相官邸前のぞろぞろも、さよなら原発も、昔何年間もそれ一筋におおげさに騒ぎ回って結局へこたれてしまった痛すぎる経験がある私のような人間の目には、意味はあるけど価値のない壮大なゼロのように思えて、署名にも気合が入らない。
 自分には、また、別の方法があるような気がします。原発も、その先も、長い息で、考えていきたいです。

 私みたいな人ばかりだと、これまた困ったことになりかねませんが、世の中はよくできていて、私より、はるかに切実に考えるまじめな人はたくさんいるので助かります。そういう人は私のようにうんちくをこね回すより先に、腰を上げて現場に行く。行って、その場に身を置いて考えるのです。
 たとえば私と同年代の、京都のTさんは、20年も前から「個人誌」を不定期で出しつづけ、私にも送ってくださる。そして、いろいろ問いかける。今度も東北の被災地に出かけて体験を書いたり、最新号では7月16日の《さよなら原発10万人集会》に出かけたレポートを載せています。えらい。
 で、それを読んでいたら、やはり現場に身を置いてみなければ見えないことがあるということがよくわかる。ちょっと、無断で引用します。

澤地久枝さん「日本が小さな国になることを、なぜ恥じる必要があるのか。小さい国土にふさわしい規模で、この国に生まれてきてよかったと思える国にしていく。福島という故郷は奪われたけれど、まだ奪われていない故郷がこれだけあると実感できるような方向をとらなければなりません」。子どもの声で「そうです」という声が響いた。すると澤地さんは、「あなたのために、私たちは頑張っているのですよ」と答えた。その言葉は会場全体に響いた。運動がどういう成果を上げるかは別として、次の世代に言葉が手渡された瞬間だった。

 澤地さんは、娘時代に満州から引き上げてきた人だけに、戦争については体験だけでなく、とことん考え抜いて、はっきりものを言い続けてきた人です。九条の会の発起人の一人なんですね。澤地さんは、そうした活動やノンフィクション作品を通して、戦争の起こらない世界を次の世代に手渡そうとしているのだと思いました。

 私の歳は今年65で、澤地さんよりずっと下ですが、はじめのころは別として、自分のために気功をやったことは一度もありません。いわば平和の礎としての気功を、手渡しやすい形にして、世界中の、気功を必要とする人たちに手渡せるようにとやっています。誰に、どんな形で手渡せるか分からないけれど、ときにはあまり得意でないこともやりながら、やっています。
 気功が、とりあえずは日本人の教育の中に活かされるようになったら、中国人、韓国人、朝鮮人、ロシア人、アメリカ人の中の、賢い寡黙な人たちと、上手につきあっていくことのできる人が増えると思っています。
 今の日本人のように、ちょっと悪く言われただけで深くも考えずに隣の国を嫌い、信頼関係を築けない国というのは、きっと滅びると思います。このままだと、滅びるでしょう。
 それなのに、澤地さんは、えらいと思いました。
 
 
120706
気功雑考
 
 経絡力を活かす 2012.7.6
 
畏友である稲舛茂俊さんに、実演つきの講演をしていただいた。
かれは福岡健康医学社の社長で、ぎんなん治療院の院長先生である。、バンキー治療を受けたことも、井穴刺絡もしてもらったこともあったから、日頃どんな治療をしているか知っているつもりでいたが、今回拝見して、見直した。

探究心が半端じゃない。たいていの治療家は患者が満足すれば自分も満足する。かれはちがう。患者がたとえ満足しても、自分が満足するまで患者を帰さない。そういう心がけで患者に接するから、治療はおのずと厳密になる。たとえば円皮針のポイントは数ミリのちがいを特定するのだ。

この日の患者は、福岡気功の会の会員だったから、身体の感度はいいほうだし、そこそこに健康な人だが、それでも患者として名乗りをあげ、腰が痛い、いろいろやってみたが、効果がないという。

かれは手ぐすね引いて、とりかかる。
まず腰の動診。ていねいに診て、腰は痛くないことを確認する。じゃ、どんなとき痛むのかと聞く。車を運転しているときまって痛くなるのだと。

腰が痛ければ、腰を治そうとする。しかし、腰は悪くない。痛いけれど悪くない。となれば、たいていの治療家はお手上げであろう。

しかし、手練のかれは、ここからが治療だとばかりに、まことに理屈にあった解釈を打ち出す。

からだのどこかに問題が生じると、その問題自身が凝縮して末端に硬結を作る。いわば「病根」となる。そしてある特定の姿勢をとったり、動きをしたとたんに、その硬結が乗っている経絡のどこかで騒ぎ立てる。

そういう構造と運動をしているなら、腰の痛みのある部位から類推できる経絡の末端部、たとえば足の指の関節をていねいに探っていくと、激痛を感じるポイントがある。そこが治療点だと。

この「腰痛患者」の場合も、足の2指の関節部に硬結がみつかり、そこに円皮針を乗せたとたんに悩みが消えてしまった。


経絡のラインをこんなふうに利用する治療法を、私は初めて見て、すっかりかれの力量に感心したが、それと同時に、経絡というのはたんなる存在ではなく、力を秘めていることを痛感した。
経絡が持っている力を引き出してやることがたいせつだ。経絡はあるのだから、経絡感覚を育ててやればより大きな力を発揮するのではないか。
気功家として経絡を、いや経絡力を利用しないてはないと、つくづく思った次第である。
 
 
120000
気功雑考
 
腑に落ちる

人の話がよく解ること。納得できるときに用いる。

それが、なぜ「腑」に「落ちる」のか。第一、「何が」落ちるのか。
気が肚(はら)に落ちる、であろう。

では、気はそれまでどこにいたのか。身体の上のほうをうろついていたのであろう。たいていは後頭部のあたりか。気が身体の上辺でうろつく感じは「気が騒ぐ」「気が乱れる」「気が落ち着かない」「気が気でない」などと言い、胸のあたりでつかえると「気が滅入る」などと表現する。

日本人はよほど体内の気の感覚に敏感である。気の本場は中国かもしれないが、中国人にはそういうデリカシーはない。もっとも、今の日本人の気の感覚もすっかり衰えてしまって「気の言語表現」もこうして解説してもらってようやく(そうだったのか)と理解される社会となりはてた。

気は腹に据わっているものである。

…という前に、腹と肚と腑についてまとめておこう。
腹はいわゆる「おなか」で、胴体の前の側の胸の下の骨のないエリア。臍を中心にした丸い部分。そのうち臍を含む下方の直径一尺の円で切り取れる部分を「小腹」(しょうふく)と呼んでいる。俗にいう「臍下丹田」の別名である。
肚は象形文字ではなく観念文字で、五行思想が円熟して以降の創作文字である。五行とは宇宙を構成する五素「木火土金水」が互いに関係を結んだり解いたりしながら運動することをいうのだが、土を中心に木火金水が周りを囲むとする考え方があった。土は大地で、土台であり、中心に位置するものと意味づけされた。身体の中心はどこか。古人は迷うことなく、おなかだと感じた。それで、肉体を意味する月を左側にへんとして置き、右側に意味を表わす土をつくりにして組み合わせて「肚」としたのだ。だからお腹が減ったと書き、腹をかかえて笑うと書くが、腹が決まると書くと、ちょっとちがう感じがする。ここは肚が決まると書きたい。抽象的な表現には肚が適している。しかし、腹はあくまでも腹だ。腹には臓物が詰まっている。
腹に詰まっている臓物を、「腑」という。腑という文字は月+府である。府は政庁のことで、昔は首都のことを首府ということが多かった。戦前は東京府大阪府京都府といって、都城のあったところを地方のニュアンスのある県とは別に府とした。奈良が府でないのはなぜか…これも面白い話だが、ここはさておこう。腑はすなわち肉体の中心という意味になる。中心を貫くのは、消化管である。実際にはぐにゃぐにゃ曲がっていて進化の過程で長くなりすぎて折り畳んだり膨らんだり窄めたりした結果だが、中心は中心で、胃の腑という言い方がまだある。中国古典医学では小腸も大腸も腑である。一般に臓物のうち袋と管は腑と言われる。それはそれだ。原義は腹と同じである。

そこで再び、何が腑に落ちるのか、考えてみよう。
気が落ちるのだけれど、何の気が落ちるのか。

それは「人の話の気」が自分の腹の「腑」に落ちる、落ち着く、ということであろう。

なぜ、腑に落ちるのか。それは、腹に心があるからである。赤心という言葉がある。腹を割って話すという言い方がある。切腹だって、腹に誠があることを証明するためにやったのだ。腑に落ちるという言い方にもっとせ近い表現は「得心がいく」ではないか。

気功では、心まで形をとる以前の「気」のままで扱い、気が腹に落ちることを「気沈丹田」という。
 
 
     
     
     
160707
気功雑考
 
両行という態度

両行については、何度か語ってきた。
原典の『荘子』では「そうムキになるな、どっちもたいしたことないんだから」というニュアンスで用いられている。福永光司先生は《ふたつながらゆく》と意味を深められた。たとえば身と心と引き裂かれそうな状況で、どちらかを取り、または捨てるという選択にゆかず、しばし待て、このままもう少し行ってみよう、もう少し先まで…という態度であると解したい。
グズの裏にある、圧縮とでもいうのか。この経験主義にも似た矛盾包括主義は、言語生活におけるバイリンガルである。本当は矛盾していないことが多いからである。

気功についていえば、気功における「近代」と「前近代」の両行を考えたい。
気功の近代は、指導・伝承・説明について、公開・公平・明晰を旨とすべきであると。気功の前近代は、老いも若きもともに学び、内的な満足を尊び、進取より繰り返すことを好むところに見られる。それらを活かすには、折り合いをつけなければならないが、言葉を換えれば妥協だったり野合だったり、面従腹背だったりと、二心のたぐいは印象がよくない。

気功は、リラックスしてやるからこそ効果が上がる、と言われている。日常の心身状態でやる体操とはちがうのだという。リラックスしてやるというのは、大脳の新皮質の前頭前野の脳波がα波で安定している状態のことだが、その状態で心身を自由にあやつることができるようになれば、これは日常時のβ波の時の心身と、二つのモードを切り換えられるバイリンガル人間となる。

これは、見かけ以上に凄いことだ。(つづく。160707)

 
 
160602
気功雑考
次元転換と気功

気功には「怪しさ」がつきまとっています。怪しさは気功の最大の魅力だと思うのですが、私たちの住むオモテ向きの社会(政治・行政・教育・医療福祉…)では、この怪しさはシャットアウトされております。もちろんそれには理由があります。アヤシイということは合理的な根拠を示せないけれども、信ずるに足る事実がある、というその事実に対して与えられる形容です。根拠を示せず、エビデンスも示せないのにそれに立脚すれば、混乱してしまいます。
ですから、気功の「怪しさ」も、非公式を装うのです。

その上で、気功の対象である『心身』について考えてみると、この心身には昔から「心身一如」といって心身は別々の顔を持ってはいるけれど、同じ一人のすがたを現していると考えられてきました。でも、ちょっと考えたら分かるように、身は見えるし扱える。心は見えず扱えない。中村天風は「身の密なるものを心といい、心の粗なるものを身という」と言ったが、身と心は同じ線分の両端に位置してはいないのです。
私は、身をどんどん凝集していけば心の裏側に達し、心をどんどんまばらにしていけば身の裏側に達するのだと思います。つまり、心身はメビウスの輪のように、捩じれて往来している。 
ということは、存在する次元がちがうのです。心を丁寧に診れば身の様子が分かり、身を丁寧に診れば心の様子が分かる。裏にあるので透けて見えるのです。丸見えではない。それだけに上手に翻訳しないと誤解してしまう。

そういう心身の交叉域に「気の身体」がある。気の身体の見方、扱い方に長ずれば、心身双方に的確な影響を与えることができる、というわけです。
いろいろなアプローチがあるのですが、気功も、その一つです。
身は、ここにあって、鈍重です。しかし、心はここにいることもできるけれど、遠くにも過去にも行ける。心はいわば、次元の壁を破るツールになりうるのです。
現実に辛すぎることがあるとします。身も心も苦しい。そんな状況で、誰にでもできることは「忘れる」ということです。俗に言う憂さ晴らしですね。しかし、気功にはもう一つ、面白い技術があります。それが『遊心』です。憂さ晴らしは「忘我…われを忘れる」ですが、遊心は「心を遊ばせる」のです。
これは、いわゆる瞑想のたぐいですが、気功では「入静」といいます。じっとしているだけでもいいのですが、初心者にはなかなか難しい。目を閉じてじっとしていると、いよいよ雑念、執念にとらわれてしまうからです。

気功の瞑想の王様は「静坐」ですが、これは、立身の行です。背筋を立て目を閉じるるのです。で、これだけだと遊心は難しいので、胴体を捩じるのです。胴体を捩じるとは、脊椎を捻転するということです。立った軸を回転すると、平面は外延に広がり、平面を回転すると軸が立ち上がりますね。コマのように。胴体を軸に見立てると、回転運動は螺旋を描こうとします。そうすることで、ここにある心身から心は「離脱」して、遊びに行けるのです。そして捩じりを戻せば、ここに還ってくる。
この気功を「白玉蟾運気はくぎょくせんうんき」といいます。
 
130524
思索
中国を毛嫌いしちゃいけない。
奥の方で眠っているのは、
近代を呑み込むリゾームだぞ。
                  山部嘉彦  


 これから、私が今紡いでいる気功のことを語っていこうと思うのですが、話は中国とアメリカのことから始めたいと思います。
 文革が終息してからそれこそ息を吹き返した気功は中国の開国を印象づける輸出商品でもありました。その新しい中国の息吹であった気功を「輸入」した日本という国は、それ以前の2000年以上にわたって中国の恩恵を受けてきた国であります。

 私たちが使っている日本語の語彙の70%は中国語と中国語を土台にして作った和製漢語です。中国語と日本語は文法も発音もまったく異なる別系統の言語ですから、人種も別系統だと考えられます。しかし、巨大な自立する文明国家の東方にあって自立するためには中華帝国の「文明の文法」を取り入れて、それを巧みに消化すること、つまり「つかず離れず」が自然で当然のことでした。そうやって自らを育みつつ、倭の五王の時代から江戸時代までやってきたのでした。

 江戸時代の後期になって、近代国家の「文明の文法」が押し寄せてきました。
 最初の一撃は北方のロシアから打ち込まれ、それから50年後には太平洋のはるか東方のアメリカによって打ち込まれました。この第二弾は強烈で、日本人は外交過程で完全に屈伏させられ、その後まもなく国体まで大転換させられてしました。その象徴が「万国公法」というやつで、薩長藩閥政権は明治改元以降「万国公法」に沿った国づくりに邁進することになります。

 ところが、中国は日本とはちょっと違った道を歩みます。中国人は大転換なんかしなかったのです。清国は18世紀後半から英仏をはじめとする列強諸国にこてんぱんにされながらも、1911年の辛亥革命以後も近代化なんか上っ面だけで済まし、懐の奥底に3000年間貯め込んだ自前の「文明の文法」を隠したまま、この100年間じっと耐えてきたのではないかと思います。表面上は近代国家の「文明の文法」を用いていますが、本音は自前の「文明の文法」でやってきました。
 中国人にとって、共産主義はその本音を包み隠しておくためには恰好の仕掛けだったと思われます。ここ20年くらいは中国人にとって、共産主義の外套をかなぐり捨てて自前の「文明の文法」に回帰するルネサンス期であったということができるのではないか。私はそう思います。ただ、彼らがそのことを自覚していないだけのこと です。

 これは孫引きですが、ヘンリー・ミラーが戦争前の『ハムレット』という著作の中で「中国は人類というキャベツ畑の雑草だ。…雑草は人間の努力の復讐の女神である。…とどのつまりすべてが中国の状態に回帰するのだ。それは歴史家たちが一般に中世の暗黒と呼ぶものである。」と書きました。ミラーはアメリカという「人間の努力」、つまり近代国家の「文明の文法」の中で育ってきて、中華民国のカオスを目にした時、自分たちは結局こいつらに負けるんだ、雑草に負けてしまうんだと、直観したのではないでしょうか。

 このフレーズを約50年後に読みなおした思想家ジル・ドゥルーズ(とフェリックス・ガタリ)は、先の引用句の直後に半ばうろたえながら「ミラーが言っているのはどの中国のことだろう、古代のか、現在のか、想像のか、それとも動いてやまぬ地図の一部分をなすような、もう一つの中国か?」(ドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』1980)と書いております。樹木たるルイ王朝とリゾームたる毛沢東の大河と形容しつつ、ドゥルーズはつまり(著述していたその時分)現視できる毛沢東の背負っている歴史の中国にヨーロッパでは決して見ることのできなかった思考をかいま見たのでしょう。誤解のないように注釈しておきますが、ドゥルーズは毛沢東の共産主義を肯定していたわけではまったくありません。毛沢東の共産主義は、レーニンやスターリンの共産主義とは違う。その違いは中国の伝統を無意識のうちに踏まえているからじゃないのか。自分の知らない不思議な原理を、毛沢東の仕事から感じるんだ…という程度のことです。

 ドゥルーズにはとらえることのできなかった「中国」を、私は気功を介してとらえることができます。ちょっと先走って答えを先に出しておきます、その「中国」はむろん現実の共産党独裁の中国ではありません。それどころか毛沢東を否定して政権を維持してきた共産党が、放任しておけば早晩自分たちを滅ぼすかもしれないと、その芽を摘みに狂乱する《自由な気功》の心棒をなすものです。
 …と、私は思っているのですが、当のドゥルーズは、その正体を知ることなく、ただその顛末だけは見えていたのでしょう、近代国家も、その「文明の文法」も資本主義(というより投資主義)も、人類の積み重ねてきた努力なんてものはたちまちチャラになっちゃうんだぞ、リゾーム(この文脈では雑草)という、始めも終わりもない「存在のあいだ」に回帰するんだと、言ったなり、1995年に死んでしまいました。

 私が言う〈共産党が自分たちを滅ぼすかもしれないと、その芽を摘みに狂乱する《自由な気功》の心棒をなすもの〉は、いわば毛沢東の衣服に染みこんでいた前時代の油分で、いつ発火するか分からない不穏な成分です。だから、毛沢東の狂信的な走狗であった紅衛兵はそれを打ち壊そうとして狂乱したのでした。もっとも稚拙な紅衛兵は、ほんとうは何をぶっ壊せばいいのか解ってはいませんでした。しかし、振り上げた棍棒のいくつかは、確かにその前時代の油分を叩きました。

 さてここから先は、気功は果たしてヘンリー・ミラーの雑草であり、ジル・ドゥルーズのリゾームでありうるのかという話であります。             
 せっかく長い間気功をやってきたのですから、気功の価値を、このあたりまで引き上げておきたい。主観的にはね。できれば千のプラトー(高原)の一つまで。と、まあ勇ましいのは結構ですが、突撃する前に少し気功の周辺事情をおさらいしておきましょう。       
 ご承知のように、気功は文革後の1980年ごろから急激に流行りはじめました。
 それが21世紀を目前にして弾圧を食らい、一気に血の気を失ってしまいました。まるでミラーが予言したような雑草がキャベツを覆い尽くそうとする勢いを、根こそぎ共産党という樹木に持っていかれました。     
 共産党主義者たちは法輪功をはじめとする社会気功と呼ばれた猥雑な雑草の何を恐れたのでしょうか。あんな程度の知性が、強大な共産中華帝国にとって代わることができるわけないじゃありませんか。それに、党と軍によって呵責なき弾圧を食らっていたにもかかわらず、社会気功の担い手たちには世界中どこを探しても味方してくれる人も思想もまったくなかったではありませんか。 答えははっきりしています。共産党主義者が恐れたのは社会気功の蔓延ではありません。彼らは、本能的に自由な気功の心棒、言い換えると気功の神髄が庶民を潤すのを恐れたのです。社会気功に気功の神髄が感染するのを恐れたのではないかと思うのです。        
 気功の神髄は、古典文献の中の隙間に眠っています。また以心伝心の伝承術の極意の中に眠っています。  
 日本の気功家の中でも、中国の古典を漢文のままジカに読んだ経験がある人は少ないと思います。読んでみると、非常に難解な印象を受けます。しかし、アタマを切り換えて何度か読んでみると、なるほどと納得できる。古典文献は、後人を納得させるために書かれたのであって、同時代人を理解させるために書かれたのではないからなのです。ですからその記述はまったく説得的ではありません。まず丸飲みさせるのに適した書き方になっています。人を酔わせるようなリズムと韻がある。   
 丸飲みした記述が胃の中で修飾文に相当するものが次第に融けて流出してしまい、いつしか読み手にとって必要なものだけが残される。それを繋げて後人は理解するわけです。繋げるのは後人の才覚に任されていますから、時としてさまざまな説が現われる。しかし、それは仕方がないのだと、古典の作者は思っていたはずです。

 たとえば、私が今熱中している『六字訣』の復元のことに則していえば、この気功のベースになっているのは経絡思想、陰陽五行説です。それが記載されているのは『黄帝内経』です。そこに、経絡の流注・五臓六腑・顔面の陽経の起止点・五行の色体・五竅…などの情報が、互いに何の脈絡もない状態で分散配置されております。 それらをつなぎ合わせると六字訣の設計図になるのですが、最初にこの気功を書いた陶弘景は、そのことを一言も書いておりません。まことに不親切、なように思えます、現代の私たちには。

 私たちのアタマは、近代教育のせいで、ものごとを理解するようになっています。ですから記述は論理的で説得的なのです。
 しかし、ドゥルーズとガタリが書いた分厚い本は違っています。非常にとっつきにくい書き方になっているのです。つまり彼らの記述は連鎖的、分散的、象徴的、反芻的なのです。まるで支離滅裂な歌のようです。そう、彼らの著作自体がリゾームなのです。
 一つのテーマを二人で書くとマルクス・エンゲルスのように厳密論理的になるか、ドゥルーズ・ガタリのように象徴連鎖的になるしかないのでしょう。

 ドゥルーズは「中国」に、何か自分たちの論法と同じ臭いを嗅ぎ取ったのでしょう。毛沢東の演説とか論文の中に、ある種奇妙な、中国人にはすんなり理解されているにちがいないものが、自分たち(の文化の中に浸かっている連中)には伝わらないことを察知したのだと思われます。ドゥルーズは、毛沢東が反右派闘争で、大躍進で、文革で、実際に何をしでかしたか何も知らずに死んでしまいました。知ったら、あんな「好意的な」書き方をしなかったのではないでしょうか。

 私は、気功の新三要素を《リラックス・気の身体・遊心》と標榜していますが、この中の「気の身体」を論理的に、説得的に説明するのがたいへん難しい。どうしてもある局面で超越的になってしまうのです。これは、近代教育の視座、あるいは科学の態度からの逸脱です。
 どんなにスマートで効果的な気功でも怪しいと思われるのは、このせいではあるまいかと、最近つくづく思うのですが、どうでしょう。
 でももし、気の身体、つまり経絡・ツボ・丹田とこれらを流通する気というものを除外したら、それはもう、気功とは言えないのじゃないか。少なくとも、中国伝統気功の遺産を継承することはできまいと思います。それだけではない、中国伝統気功の中に眠っている《隙間》を、手に入れることをあらかじめ放棄することになる。この文脈で言えば、可能性としてのリゾームを放棄することになるのです。

 実は、いくつかの動機によって、これはいけると踏んだ「診断筋マッサージ」「静坐(亀息/微笑息)」「六字訣」を出版してもらおうという気になって、いくつかの知り合いの出版社に企画書を提出したのですが、返事が届かない。で、ものは試しと、周りの気のおけない気功家たちに読んでもらったら、やっぱり唸るのです。うー…ん、これは…と。
 その反応を見て、私はハッとした。オレは、いつのまにか《隙間》の色に染まっちゃったのかもしれないぞ。けっして怪しいわけではないけれど、自分の文体は訳の分からない言語になっているのかもしれないぞと。
 ヘンリー・ミラーが、中国の得体の知れないエネルギーを前にして、これは「中世の暗黒」と呼ぶものだ!と怯えた、ドゥルーズの言うリゾーム。それは、見えないけれど感じられる存在様式を持っています。象徴的に言えばバクテリア的なもの、もっと言えば「音」的なものです。それは共鳴し、感応し、いつのまにか、あたり一帯をその「和音」で染め上げてしまいます。
 
 
130413
気功雑考
 微笑息

3月発行の『身体知』を編集していて、2~3ページほど余白ができそうでしたので、調息のことを考えているところだったこともあり、微笑息のことでも書いてみようと気軽に書き始めたのでしたが、この「研究」対象は、奥が深かった。それというのも、木喰上人の人徳に触れたせいでした。

笑いが健康によいということは、よく知られております。よい理由はそのへんの生理学者が脳内生化学物質が○○神経を刺激して…などと、うだうだ言っておりますが、本質的なことではありません。
本質的なことは笑うという生理現象が呼気を長くして胸郭を引き締め、その直後の吸気を一気に拡大して胸郭を広げる作用を持つため、一義的に肺が酸素を多く心臓に送り出すということでしょう。
一方、心経の陰気が口腔側面から噴き出して小腸経の陽気に転じる際に、笑うことによって引き起こされる笑筋の収縮作用によって上顎骨下辺に形成される小腸経のルートが大きく開かれ、小腸経が一気に活性化します。すなわち心拍を強く速くさせるのですが、この肺と心拍の相互作用こそが、身体全域手足の末端まで新しい血を送り込んで体温を上げ、ミトコンドリアの活性化を促して代謝を早め、静脈血の免疫力を高めるために、健康によい、元気になるというわけなのです。

笑うと健康でいられる…ということは分かっていても、笑う材料に乏しい生活を強いられている現代日本人は、なかなか心の底から笑うということができません。どうですか。あなたは、今日、お腹の皮がよじれるほど笑いましたか。昨日は? 先週は? 今月に入ってからは? いえ、今年に入ってからだって、苦しくなるほどの大笑いを笑ってはいないのではありませんか。

日本人には、アメノウヅメの昔から結構笑ってきた歴史があり、狂言や落語など庶民の笑いの文化を育んではきたのですが、その反面、厳しい現実を生きなければなりませんでした。いつもいつも朗らかな国民ではなかったのです。今もそうであるように。
木喰上人が生きたのは1718年から1810年までということになっておりますが、木食戒を授かったのが45歳、仏像を彫りはじめたのが61歳ということになっております。
その年は天明の大飢饉のさなかで1783年から5年連続の飢饉でした。東北を中心に10万人が飢えて死んだということです。木喰さんは当時の地の果て蝦夷地の太田権現で約70年前にここに来て彫った円空の微笑仏を見て、ああオレでも彫れる、彫らなあかんと一念発起するんですね。

それから木喰さんの遊行が始まる。飢饉で疲弊した村を歩くんです。
木喰さんはぼろをまとった六尺の坊主で、五穀を断ってソバガキみたいなものと木の実しか食べずに、頼まれては彫って彫って彫りまくる。
彫りはじめてから客死するまでの30年間に約千体も彫る。単純計算で十日で一体の割です。はじめのころの作品は渋いお顔の仏像ですが、だんだん例の丸くまんまるのにこにこ顔になってきます。
どうしてだと思いますか。
木喰さんが訪ね歩いた村々の農民たちは疲弊していて笑顔を忘れていたにちがいないのです。貧しくて、幼子を亡くしたり、病魔に冒されている肉親を抱えていたりしてね。木喰さんの修行はそういう貧民に顔施で報いるということだったんでしょう。〈この仏さんのごと笑ってみなさい。な、笑い飛ばせば何とかなるんじゃ〉とか言って手渡したのですね。小さな仏像を。
立派なお寺の国宝級の仏師が彫った仏像とは、違うんです。
木喰さんは笑いの見本を仏像に託して、日本国中を励まし歩いたということじゃないでしょうか。

さて、木喰さんの彫った仏像は微笑仏(みしょうぶつ)と呼ばれております。

微笑は、英語ではsmileといいますが、欧米人のスマイルでは歯を見せて笑っております。日本人の微笑では歯を見せません。木喰仏の中には歯を剥き出しにして笑っているものもありますが、多くはにこにこ顔ですが歯を見せておりません。世界三大微笑の一つ「モナリザ」(ジョコンダ)も歯を見せておりません。今日の欧米人が歯を見せるスマイルは、外面、外見の美を意識し、させる近代の意識の反映で、それ以前の微笑は洋の東西を問わず内面からの表出としての生理現象そのものであったと言えるでしょう。

木喰仏の微笑について『身体知』に書いた時には気付かなかったことがあります。
それは上唇の上の人中(鼻の下)に「溜め」があるということです。

この人中の下は切歯骨です。人間では左右の上顎骨と癒合して一体になっていますが、他の哺乳類では別々の骨です。要するに切歯骨が下顎骨とワンセットになっております。内胚葉系のホネなんです。さらに言えば、肺-大腸経の所属です。そういう骨の表層の上唇~人中を薄くして両端を絞った表情。これはいわゆるアヒルぐちという、少女のおどけ仕種における口元ですが、こういう表情をすることで切歯骨の両端に響く。そこで、つまり迎香という小鼻の脇のツボが刺激されて呼吸器が活性化する。酸素が寄り多く肺に供給される、そう私は思います。酸素がたくさん入ってきて心拍が増え血流がよくなる、そういう表情を、木喰さんは「こんなふうに笑ってごらんな。生きていかなならんのじゃけ」と、まあ、おっしゃったにちがいないのです。
ゲラゲラと笑うと、それは発散です。排泄なんです。微笑だと、補充です。アヒルぐちだとそれが強まる。木喰さんの長い経験が、あの笑顔を人を励ます最高形態であるとの確信にまで高めたのだと私は信じて疑いません。

毎朝、鏡の前で、このおどけた笑い顔をしてみる。
ちょっと大袈裟に、眉尻を引き上げて、アヒルぐちで、ほっぺたに鶉の卵を含ませて、口角を引き上げて、「いーうーいーうー…」と口ずさむ。それから小さくかすかに口元から「ふふふふふふ」と漏らすように吐きながら穏やかに表情筋を弛めていきますと、なかなかいい顔になります。心も軽くなります。

そういうことを、木喰さんから教わりました。
 
130314
気功雑考
行気はどう読む?           


 『身体知』では「行気・聴勁・愉気」を連載中です。ここでは「ぎょうき」と読んでいますが、ホントにそれでいいのか。

 というのは、気功のテキストで、その歴史を素描する時、必ずといっていいほど取り上げられるのが「行気玉佩銘」ですが、これは「こうきぎょくはいめい」と読むことになっています。戦国時代初期の紀元前4世紀ころの、小さな十二角柱の玉に刻まれた文には

「行気。深即蓄。蓄即伸。伸即下。下即定。定即固。固即萌。萌即長。長即退。退即天。天幾舂在上。地幾舂在下。順即生。逆即死」

とあります。気息の歌ですね。この冒頭の行気をコウキとして、合掌行気はガッショウギョウキと読む。さてギョウキとコウキでは意味が違うのか。どう違うのか、なぜ違うのか、いつから違うのか???

 たぶん、これまで誰も問題にして来なかったのではないかと思います。以下、私がはっきり答えようと思いますが、現代日本人の知行分離体質とでもいうのか、ほんとうにダメなところです。
 日本にもそれなりに気功や修行を学問的に研究している人はそこそこいるんですよ。でも実際に練功をしっかりやっていて気功を学生にきちんと手ほどきできる人はいません。学問研究だけです。逆に、長い間練功してきている人は少なくありませんが、気功研究もしている人は少ない。ボンクラ大学の先生にさえなった人がいないのです。中国の気功の先生で、大学の先生もやっている人はかなりいます。大都市の大学にならどこでもいる。やはり、層が厚いですね。

 それはさておき、行気。
 どう読むかという問題は、さしあたって日本人の問題です。中国人にとっては問題になりません。現代中国語では一つの熟語が複数の読み方と異なった意味を持っていることは、原則ないのです。一義一語だからです(正確に言えば一義一音声)。
 日本人は、2000年以上前から、中国と往来してきました。中国は国力も文化も産業も圧倒的に優位でしたから、すべての面で日本は受容する側でした。第一今こうして書いているこの漢字が中国語の文字ですからね。

 ヒミコの時代から、倭の五王の時代をへて、古事記、日本書紀の時代、遣隋使・遣唐使の時代までほぼ千年間、日本は完璧な中国従属国家でした。中国に行ったら、学んで帰ってくるだけでなく、大量の文物を仕入れてきてそれにかぶれることが支配階級の務めだったんですからね。天皇をはじめ、貴族階級はそれをむさぼり読んでいました。
 竹中平蔵みたいに今はかつての敵国アメリカにかぶれることが時代の先端指標になっていますが、昔は中国文化の新しい流行を早く身につけることが自慢でした。紫式部が親父が仕入れてきた最新情報をひけらかして清少納言を遅れてる、ださいヤツと小馬鹿にしてたり。昨今の自民党のブレーン連中と、同じ遺伝子ですね。

 では、中国からの外来文書を実際にどう読んでいたかといいますと、平安時代まではほとんど全部呉音で読んでいました。遣唐使以降入ってきた新語だけは漢音(唐の長安の発音)で読んでいましたが、宗教哲学用語、日常文化語はみな呉音です。
 かんじざいぼさつぎょうしんはんにゃはらみたじごうんかいくうどいっさいくやく…  
というように。

 遣唐使が中止され、その後平安時代末になって平氏は日宋貿易に乗り出し、鎌倉時代にかけてインテリも貿易商も渡海するようになりますが、行き先は寧波です。ネイハじゃないですよ、ニンボーです。長江河口の南の杭州の南の港市です。留学僧は、ここから仏教の聖地五台山に入ったのでした。禅宗の用語は読み方が珍奇ですが、それは鎌倉時代以降の唐音(風鈴、蒲団、暖簾、提灯、椅子、行脚など)に従っているからです。

 観気旅行で普陀山に行った時、この町に寄りました。この町には日本領事館があったのです。かつての図書館にはこの地で亡くなった日本人留学僧の墓もありました。その昔ここらは呉の国でした。文物はここから積み出されました。今でも和服のことを呉服というのは、こういう文化のルートの賜物といっていいと思います。

 さて、行の字ですが、これは「いく」と読むのは後年のことで、昔は「いく」には「往く」を当てていました。行はもっぱら「ぎょう」で、訓読みは「おこなふ」です。また、「いく」も、当初その意味は「うまくはかどる/よい/納得できる」であって、今日の「どこかに向かって進む」という意味はなかったのです。ちなみに「行なう」は「型や習慣に従って同じ調子、同じ形式で続行したり、施行・実施したり、処理したりする場合にふつう用いられる」ので、まさに「ぎょう」であって、それは古語辞典を繰ってみれば一目瞭然です。

行幸、行学、行儀、行啓、行者、行水、行体、行道、行功、行業、行作、行事、行徳、行人、行歩、行法、行力。経行、悪行、遊行、修行、勤行。

 そういう次第で、行がギャウであり、オコナフであった時代(つまり明治以前)は、行気は「ぎょうき」としか読みようがありませんでした。
 それがどうして「こうきぎょくはいめい」になってしまったのか。
 それは、明治国家権力が、儒教思想で社会統制、漢音による学問・行政用語統制を敢行したからです。
 明治国家の思想的原基は江戸時代の国学に求められますが、その倫理的基礎は儒教の中のどちらかといえば亜流の陽明学です。そのため、徳川幕府の政治伝統を継承したくない薩長藩閥政権は全土一元支配のための中核思想としてこれに依存することにしました。そして明治政府の周辺にあった漢学者が西洋文明の文物概念を翻訳する時に作った新作用語も江戸時代の漢籍(儒学文書)の読み方、つまり漢音で読んで普及させました。したがって明治以降流入した中国語も、それほど多くはありませんが、人名地名を含めことごとく漢音で読みかえる習いとなりました。
 それが、戦前のみならず、戦後の日中文化交流においても踏襲され、古代中国思想哲学などの学術分野においても何の疑問もさしはさむことなく、行気を「こうき」と読んでしまうハメになってしまったのです。

 一方、「ぎょうき」と読む伝統は、今日に至るまでどうつながってきたのでしょうか。
 江戸時代から明治時代になっても、仏教を中心に修行する人たちの伝統は途絶えることなく居残りました。彼らは遊行遍歴し、西日本では修験道が根づいておりましたから、各地で交錯し、それが庶民に支持されておりました。江戸時代末期に相継いで登場した新興宗教(黒住教、天理教、金光教)を下支えしたのも、そうした伝統あってのことでした。彼らは本質的に行者集団で、すっかり日本化してしまった古来の道教の血を引き、例外なく行気(内気・外気の修行)を行ない加持祈祷を修めていたのです。
 その中から都会定住者となる者が現われ、霊術家、療術家として名をあげたりしたわけです。東京の松本道別(少年時代の野口晴哉を指導した道士。霊学道場主)もその一人です。彼らにとって行気は当然「ぎょうき」です。その内容から言っても、行気玉佩銘を「こうき…」と読むなんて、ありえないのです。

 実は、中身がないのは、東京帝国大学の儒教信奉者が占有していた戦前戦後の中国哲学科の教授連中だけではないのです。1980年代に中国気功を初めて受け入れた若き日の私たちも、気功の用語を何の根拠もなく当然のように漢音で呼び習わしてきたのでした。
 たとえば鬆静自然(ショウセイシゼン)性命双修(セイメイソウシュウ)三体式(サンタイシキ)などと。今思えば、(ソウショウジネン)(ショウミョウソウシュウ)(サンテイシキ)以外ありえないのですが。そうした軽率な挙動を戒めるように確信をもって気功用語を敢然と呉音で紹介したのは池上正治氏だけだったと思います。

 日本には「気功学会」がないので、用語の読み方を統一しましょうと今さら提案することもできません。「こうき」と読んだり「ぎょうき」と読んだり、言いなりです。初心者にそれとこれは意味が違うんですかと問われて答えに窮する気功指導者って、どれだけの器なんでしょうね。
 とにかく、ものごとをせめて五百年千年の長いスパンでとらえることができないと、必ず道を誤り、誤っても反省すらできないのではないでしょうか。行気をどう読むかなんて、小さなことのようですが、日本の気功の底の浅さを象徴するような、恥ずかしい話であります。
 結論。行気は「ぎょうき」と読む。気功用語をどう読むべきかは、再考すべきだ。お粗末。
 
 
   
130303
思索
 中国気功の市場主義

ジャック・アタリ(現代フランスの経済学者)が、毎日新聞2013.3.3朝刊の『時代の風』というコラム…というより、これはメドレーリレー風の囲み記事というべきか…で、「宗教と民主主義」について、なかなか興味深いことを書いている。

アフリカのマリの、イスラム過激派がテロを敢行したが、アルジェリア軍に撃退された。過激派には国際協調で戦争して勝つしかない、というイントロで、穏健なイスラム教と民主主義は共存できるが、イスラム過激主義とは共存できない。国際連携で、撲滅するしかない…という趣旨である。よく読むと、そう主張している。
キリスト教にも、ユダヤ教にも、ヒンドゥー教にも過激主義はあるし、共産主義はそもそも過激主義である。そういう過激主義と民主主義は共存するのかな。アタリは、「どのような宗教でもイデオロギーを強制する意思はすべて民主主義に反する」とこの記事の中で主張している。何をマヌケなこと言ってやがる。

せっかくだから、こいつを先にやっつけてしまおう。
アタリは、まあ、態のい民主主義者である。たとえば情報統制のない民主主義国でなら、原発はありだよと。原発は、民主社会では管理できるものなんだ。統制だらけの中国や北朝鮮やイランやパキスタン…では危ないけど、フランスでならいいし、アメリカでもいいし、でも日本はあの報道管制だからなあ、とのたまう民主主義者である。ロシアは?イスラエルは? まあ、この程度のヤツだから、矛先はムスリムには向かうが、キリスト教原理主義にも、ユダヤ教原理主義にも向けられない。
原理主義は、宗教だけにあるのではない。市場主義にだって、民主主義にだってある。市場主義というのはそもそも資本主義の原理主義だ。

さて記事中のアタリの所説に沿って、これらの原理主義の価値意識のシェーマをまとめてみよう。アタリは市場主義の特徴をこうまとめる。
物質的>精神的  個人>集団  短期的>長期的

じゃ、宗教はどうか。以下は私のまとめ。
精神的>物質的  集団>個人  死後>現世
民主主義はどうか。
自由>統制  個人>集団  新興>伝統
…となるだろう。

すると、これらの三つのジャンルをクロスオーバーする「中国気功」はどういう価値意識に彩られているか。
市場主義における物質的(健身)>精神的
宗教における集団(型指導)>個人
民主主義における統制(国家管理)>自由
と、まとめることができる。

民主主義については、眉にツバをつけてチェックするクセをつけてあたるべきだと、私は思っている。なぜなら、私たちの知っている民主主義というのは、近代主義と資本主義を土台として成立している、特殊な民主主義にすぎないからである。ちなみに近代主義の原理主義が共産主義である。

今、私たちは中国気功(健身気功)を反面教師として(正面教師にしてしまっている日本人もいる!)日本の気功~グローバルスタンダードの気功(のありかた)を考えてみたいと思う。
 
120000
気功雑考
 気功の深淵

気功にはさまざまな顔があり、人は気功のある顔を見て、これが気功か…と思い定める。気功の道に分け入った人は、はじめ、教えてくれた師の顔を気功の顔とダブらせるものだ。しかし、気功をしてきて一人の師しか知らないという人はあまりいない。たいていの人は何人かの先生から趣の異なった気功を教わる。そのことで、人は自分の気功の顔を持つきっかけを得るのだ。
私は気功を知ってまだ間もないころに、否応なく「教える」立場になった。
そのことで、私はいくつかの気功の顔を持ち、それは次第に自分の気功の顔を形成していくことになったのだと思う。もっとも一つの頑固な顔に凝固してしまったのではなく、時と場合によっていくつかの顔のどれかに変貌するのだが。

とはいえ、気功を学び始めてまもなく30年。30年もやってきて、自分の気功を持てないのなら、責任のある指導もできないのではないか。私がまだ40代の壮年なら、先生に聞いてきます…という逃げ口上も許せるだろう。が、今や私も還暦過ぎである。先生に聞いて正しい答えをお伝えしますと答えるのは恥ずかしい。逆に言えば、師たる者は、弟子の歳が60になる前に、その弟子に教えられるものは皆教えて、後は自分で道を開いて行きなさいと言わなければならない。 「これからはお前は弟子ではなく、同じ道を歩む友人だ。知ったことを互いに教え合おう。」と言わなければならない。
もっとも、そんな弟子を持てるかどうかが問題なのだが。
私の場合は、私が慈愛をもって突き放す前に、さっさと尻をまくって去って行った人ばかりで、思うに任せない。不徳のいたすところである。

以下の拙文は、気功の入り口では見えなかったその姿を、伝えるのにふさわしいと思って選んだ掘り出し物である。深淵はもう少し深いが、その深みの色合いが感じられれば、この目的は半ば達せられたというべきであろう。
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120000 
気功雑考
 気功の本態

…教室では練功という気功の実践に「型」稽古のような方法を採用していますね。
□はい、ふつうそれを「套路功法」と呼んでいます。いうなれば技の型の接ぎ合わせたパッケージですね。
…その套路功法に習熟することが気功という「内気の鍛練」になるのはどういう理由ですか。
□それは「型」が内気を潤滑させたり増強する仕掛けになっているからです。
…でも、天を表現したり、大地を表現したりする、ある種の象徴動作や姿勢は、必ずしも気の通りをよくするものとは限らないのではありませんか?
□そのとおりです。そういう気功はシンボル気功とかイメージ気功と呼ぶと理解しやすいと思いますが、型が直接内気を刺激するのではなくて、脳を刺激するんだと思います。脳は「意味」に反応する大脳新皮質と「印象」に反応する大脳辺縁系があります。普通はこの両方が反応しますが、気功をしている最中は「印象」に強く反応します。いわば、象徴の連鎖が起きる。その結果、脳内の辺縁系の自発動が起きる。
…自発動とは何ですか?
□はい、これこそ気功の本態なんですが、自然のリセット運動です。地殻における地震と同質のものです。日常の生活の積み重ねの中で起きてしまうひずみ、歪みがあるレベルに達すると、もとに戻ろうとする内在力が働いて、揺さぶりが起きます。それは毎日起きています。睡眠時の寝返りと夢です。この二つは同じ「自然のリセット運動」の身体表現と精神表現です。睡眠時の脳は休息状態ですから脳波でいうとδ波で安定しております。睡眠は短期的なひずみの修正には適していますが、体質的なひずみや不眠状態が続いて疲労が蓄積すると対応しきれずに、病気になります。病気も自発動の一種です。しかし、病気になると身心は病気に専念しますから、日常生活は棚上げしなければならない。ですから、病気の代わりに、病気よりも自己制御可能な状態に誘導しようというのが、気功の自発動なんです。
…自己制御可能な状態というのは、覚醒状態でということですか?
□はい。正確にいえば、前頭前野の脳波がα波で安定している身心状態です。この時、不随意神経優位、錐体外路系運動神経優位になっており、平滑筋運動優位、随意筋内の不随意繊維運動優位になっています。こうした条件下では動いても筋肉は疲れない。夜中に激しく寝返りを繰り返しても、疲れないでしょう。それどころか、疲れが取れるんです。それと同じように、激しい自発動が起きても、疲れない。終わったあとはさっぱり、すっきりです。
…その自発動と、「型」はどう関係があるのでしょう。
□これは身体の「型」ですが、自発動には骨格を修正するような運動もあれば、内臓の働きを回復させるような運動もあります。ていねいに自発動を観察すれば、ある動きのパターンが病気を克服し、健康を高めるものであることが解ってきます。古くから伝わっている導引の「型」には、そのパターンを基に設計されたものであろうと思われるものがたくさんあるのです。
…つまり、頭で考えた体操の型と、気功の身体自身が表現した病気治し・クセ直しから紡ぎだした型とは本質的に違うわけですね。なるほどでした。では今日はここまでにしたいと思います。
 
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気功雑考
 意と気について

気功を、字義どおりに説明すると、気の鍛練という意味になる。
気の鍛練というなら、気とは何かを説明しなければなるまい。
気は、形以前の形のもと、力以前の力のもと、熱以前の熱のもと、感情以前の感情のもと、考え以前の考えのもと…である。
では、意と気は同じものか、違うのなら、どう違い、どんな関係性があるか。
気は生命体が生きているためのもとだから、誕生とともにそこにあるが、死んだら消滅する。しかし、意は生命体に宿り、気で育まれる。そしてある条件を満たせば死んでも残る。そのような、条件をクリアしたものを志と呼んでいる。死んでからの志を魂というが、しばしば混同されて、生きているうちから胸の中に居すわっているかのように思われている。いわゆる霊性のことだが、霊性という表現には格はあるが方向性がない。魂には上昇性がある。志は地上で実現すべき行動の方向性がある。いずれも、他者に訴える動力を内在させている。だから、気は霊性に連なり、意は志・魂に連なる。
まとめると、意は気の帥である。細胞になぞらえて言えば、意は核に相当する。その細胞が何者であるかを決定する因子である。意は細胞膜の外側では自己実現できない。それで、宿るものなのだ。
そういうわけで、気の鍛練のためには意を調えることが非常に重要なのである。
意が働かないことには気の質は向上しない。ただ強くなれるだけだ。意がよく働くためには、気を集める必要がある。気を集めて注ぐのが鍛練になる。掛け合うともっとよい鍛練になる。これを気合という。
いずれにしても、自分のためだけに使っていては煮詰まるだけで、用をなさない。人間関係の中で使わなければならない。これを、気をつかう、気にかける、気にする、意を用いる、意を尽くす、意を注ぐ、意を留めるなどという。適宜用いるには、その基礎鍛練をするのがよい。それを、気功と呼んでいるものだ。その位置づけを忘れているものは、気功とは言えない
 
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