静坐をしよう  
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 静けさで私自身を包む   
静坐の姿勢は背骨の直立不動。
でも、手足にはいくつかのバリエーションがある。

手は印を組むことがある。
足は双盤座(上)か単盤座(左右)
または正坐。

目は閉じる。内照、内視。
そして
おだやかな表情と微息。

 私が天地に溶け込む
   
Q:静坐を薦める理由は何ですか?  A:静けさの中でこそ今、ここにいる自分が感じられるらです。座るは、居るですから。自分を大切にしたい人のための常識にしたい。 






★静坐は座禅ではない★

静坐は、座禅と全く違います。チョウザメとサメほど違います。
座った姿勢こそ似ていますが、心の扱い方も、座る目的も、対照的です。
いっしょにしてほしくないですね。
私は、むろん、静坐をお勧めします。
参考のために、座禅との違いを列記しましょう。 

座る姿勢も心構えも、実はかなり違います。

Q:静坐は気功ですか?  A:気功です。気功の女王だね。形(姿勢)。息。意(心)が揃ってはじめて成り立つ。
 リラックス、心の落ち着き、気の身体(丹田、体軸)、遊心。全部必要。 
Q:要求どおりに座れないのですが…  A:どこが問題なのかな。腰? 膝? 足首?それとも背中?
 腰が据わらないのがいちばん問題です。腰が立たないと、座骨で立てないから。
 座って臍を下向きにできない人は、まず腰の矯正に取り組んでください。背中を丸め 静坐、すなわち静かに座ることはできませんから。 
Q:膝や足首は、なんとかできるのでしょうか。  A:脚を投げ出してもいいのですよ。たいていの人は「自然盤座」ならできますし。
 膝や足首の矯正をしながら、やってごらんなさい。 
Q:正坐でもいいですか?  A:いいですよ。正坐から盤座、盤座から正坐…と構えを変えてもいいです。
 要は、背筋が自然に立っていればいい。左右に歪まないように。 
Q:静坐をしたらいいことがありますか。何のために静坐をするんですか?  A:いいこと…ね。それはね、空腹が快感、貧乏が快感と思えるようになることでしょう。静坐は「からっぽの気功」なんです。ものごとにはみな、裏と表がある。けれども社会で生きる人の生活は一面に偏る。社会で役立つことに傾くんだ。そのことで自分を削ってしまうことに気づけない。
気功は、体験によってしか得られない。静坐も例外ではない。やってみてから、もう一度考えてみるのもいいんじゃないか。 
Q:いきなりやってもいいですか。  A:「成果」を上げ、副作用を避けるために、ぜひぜひ、リラックスするためにストレッチや体操をしましょう。みぞおちを弛め、頸を柔軟にします。
また、からだが冷えた状態で始めても落ち着きません。気になることがあったり、気分が優れない時も、始めてはなりません。やってもうまくいかないことがわかっているんです。
やってみようかな…と思うときにする。気功は「心遊ばせ」だから、こどもの時、遊ぼうかなと思って遊びに行く、それと似ています。深刻に遊ぶことがないように、深刻に構えて静坐というのもありえません。 
     
準備 
1.服装  からだを締めつけない、楽な服装で。金属は外す。   
2.場所  静かで、明るすぎず、暑すぎず、寒すぎない室内。   
3.時  朝昼晩いつでもよいが、眠い時、空腹満腹の時、体調がよくない時、感情が激している時は不可。   就寝前に、眠くなるまで行ずるのは、可。
4.準備、用意すべきもの  用便を済ませ、マットか薄い座布団を下にして座る。畳に直に座るも可。冬期は寒くないように衣服の調節をすること。肩に掛けたり、膝に掛けたりできる毛布やマフラーを用意しておくとよい。音(BGMなど)はあってもよいが、静寂に耳を澄ませることも重要なので、慣れてきたら、無音環境で行なうように。  座布団で尻を膝より高くする必要はない。床で膝を受けると腰が反りすぎるので腹が緊張しやすい。薦められない。 
5.事前の「要求」  最低限、からだをほぐす。気持ちを落ち着かせる。ストレッチ。導引。呼吸。
自分で静坐に至るプロセスに、ルーティーンをセットするのが望ましい。慣れてきてからも、せめて10分かけて、リラックスすること。あくびが出るまで。動功による練功のあとに続けて静坐を行なうのを標準とする。 
 例:
「邪気の吐き出し」と「撼天柱」または「白玉」で10分。
6.心構え  気負わないこと。自然体で臨む。途中で心が騒いだり、邪魔されたと感じたりしたら迷わず止めるべきこと。   
     
●スタート  
1.座る  単盤座(半跏趺坐/天地盤座)。片膝が上がるようなら重ねた脚の上下を入れ換えてみよう。より低くなればそれを採る。もし姿勢を保つのが苦しかったり、痛みがあるなら、膝を開いた正坐に替えてもよい。正坐もうまくできないようなら、静坐に取り組む以前の問題として「座る」練習をすべきである。らくに座れるようになってから、やればよい。痛みをこらえてやっても、意味はない。というより逆効果。
座れたが、背中が丸くなるなら、背骨のクセというより、骨盤の後屈のせいであろう。不可。座面と背筋は直角よりわずかに鋭角で、鼠蹊部の溝が深く、おなかが大腿に乗る感じになる。
脚を重ねるときついが、上の脚を床に落とした自然盤座でなら落ち着く人は、この座り方でよい。
要するに、座骨で立てればよいのだ。 
 静坐の途中で、脚が痛くなったら、上下入れ換えてもよい。正坐に座りなおしてもよい。
2.背骨(胴体)  背筋はまっすぐ立てる。上述のように、ごくわずかに前傾させる。2~3°。みぞおちを開く。腰は反らせない。腰を反らせると背筋の緊張を誘発するので不可。   
3.頸と肩  頸を伸ばし、肩を落とす。肩は内側に巻き込まないように。準備の際、烏口突起の周辺をマッサージして 三角筋胸筋溝が閉じ込まないようにすること。
うなじを伸ばし、あごを引いて玉枕関を開く。
 肩が内側に入ると、背が丸くなって、うつむきぎみになるのを避けられない。不可。
4.顔つき  玉枕関を開くと、眉間が緩んでくる。正確に言えば「慧眼」というツボが開いてくる。
慧眼の開を安定させるため、眉間をいっそう開き眉頭(攢竹という膀胱経のツボ)を上げ、さらに眉山を斜め上外方向に引き上げる。眉山というのは糸竹空という三焦経のツボ。
目は軽く閉じる。まぶたの下の瞳は、斜め外上方を見上げる。閉じた目尻を外方へ引く。
鼻筋を立て、鼻の頭を尖らせる。
口を真一文字に結ぶ。上下の唇を薄くしてつぶし合うようにする。
目頭から鼻梁の裾をへて小鼻をかすめ、頬の下をU字型に外に開いて耳孔に引き上げるラインに沿って口角を引き上げる。頬は丸く膨らみ口はアヒル口になる。
耳から下顎に沿って内側に寄せてきて、頤で絞り、尖らせる。 
『どんな顔つきで静坐をするか』気功論集のページを参照のこと。 
5.呼吸  最初、気持ちが落ち着くまで、亀息を用いるとよい。
すなわち、左の鼻孔から吸い上げて左目頭(晴明)で止め、息を吐きながら目の後ろを通って左の耳門を抜け、耳の外に吐き出す。耳の外から息を吸い込み、目頭から下に向けて息を吐き、左鼻孔の下へ。次の息は右鼻孔・右目頭、呼気で右耳門から外へ。外から吸い込んで目頭から下へ転じて右鼻孔下へ。この4呼吸を1分のペースで3~4回。そのあとは、意識的な呼吸を忘れ、ただ耳門に意識を集注させ、淡く意守。
雑念で乱れるようなら、亀息を再開させるとよい。
こうして、3分・5分・10分・20分と、少しずつ長くするとよい。 
     
●収功   
1.きりあげ  はじめに「きょうは10分やろう」と自己暗示しておけば、だいたいそろそろ終わろうと思う時と一致する。
しかし、それにこだわることなく、きっかけがなんであれ、やめたくなったら、さっさと終わるべきである。
また始めてはみたが、乗らなかったら、すぐ止めてもよい。というよりやめるべきである。
止める時は「ハイ」「よし、と」「うむ」など、声に出すとよい。 
 
2.収功  マッサージがよい。頭、頸、肩、背、腰を軽く揺すったあと、顔・頭・項・胸・腋・腰・腹の順にマッサージ。帰来穴を押さえて息を戻す。「…うむ」って。
座勢を解いて、脚を伸ばし、マッサージをかけ、足首を回すなどしてしびれをとりさる。立ち上がって、かるく体を揺する。 
 終わったあと、就寝するなら、収功は手を揉むくらいでよい。ただ、寝る姿勢は、仰向けで、手足を伸ばした形にすること。
     
●よい静坐/悪い静坐  
  まず、よい静坐と悪い(うまくいかなかった)静坐があることを知っておきましょう。うまくいかなかったとしても、それは打席に立って打てなかったというのとあまり変わらない。そういう意味ではスランプもあります。スランプが続いたからといって、野球をやめちゃうか。やめることもありますね。
気功も「縁」というものから逃れられない。
スランプが続いても、野球が好き…というのになぞらえて、気功(静坐)も好きでいられるなら、一拍置いて、またやってみるといいでしょう。

よい静坐では、時間の変容が起きます。正確に言えば「時間感覚」の変容、すなわち劇的短縮です。あっというまに20分も経ってしまった…というやつです。
逆に悪い静坐では、居心地が悪くて、やった気がしないとか、しびれて痛かったとか、早く終わらないかとイラついた…となります。心身に異状が生じて不快ということも、まれにあります。
上にあるように、ガマンしてはいけません。座禅とは違いますから、さっさと切り上げます。
人生と同じで、よいときもあれば、悪いときもあるのです。 
 
 
     
●静坐の《効能》   
  生きている以上は、動いています。顔は前に付いていますから、前に進みやすくできています。爪先も前を向いています。それで、人は「勝手に」前進してしまいます。その上、時間も前に進みます。刻々と進みます。眠っている間も、時間は進みます。
そういう環境で生きていますから、動くこと、進むことに関心が集まり、その方法は「改善」されていきます。それがあまりにも早く感じられると、前進の中の前進要素しか見えなくなってしまいます。
静坐は、そういう流れの中の、重力方向への勢いをもったカウンターです。
言い換えると、人は、生きることを、日本の国旗(日章旗)の中の「日の丸」の赤の中にあってもっと赤くなることだと思い込んでいる。
そうかな。日の丸が輝くのは、白地があるからではないのかな。
静坐は、国旗という生活における白地を洗濯することです。
急いで前進していると、止まる価値がわからなくなり、前進していることも自覚できなくなります。止まることは、だから目覚めることなんですね、皮肉なことに。

目を閉じて静かにしていると、耳が澄んできます。すると、聞こえなかった音が聞こえる。というより、さまざまな音が交錯していることが判るわけです。その上、いつのまにかあっというまに時間が過ぎてしまっている。時間の変容が起きていたのです。静坐ごときで、時間が飛んでしまうとは…。さらにその上、根拠のない充実感がある。
おまけに、眠りがよくなる。夢見がよくなるんですね。つまり、人は一晩のうちに何度も夢を見るのですが、その夢を覚えられなくなるのです。よい夢は残らず、悪い夢は(記憶の始末が悪いので目覚めてからも)残るのです。
 
     
     
     
気をつけて!