色体/経絡/治療 ○筋診断の基本認識をまとめました
 色体とは?  色の原義は「飲食男女」ですが、容色の意味が加わり、さらに外からの刺激で変容する「色調」が加わり、仏教が入ってから色即是空の「色界」が加わり、ついには「色彩」が加わります。

色体は、仏教思想が受け入れられ、陰陽五行思想が充実してからの言葉で、世界とその変容をすべて説明しようとして、「この世(色界)のものはみな色体でできている」という概念を生み出します。それを分類整理した一覧表を「五行の色体表」と呼んでいます。

今日ではこの「色体表の色体」のことをいうため、木火土金水に五臓を当てはめて肝心脾肺腎と並べ、五色を当てはめて青赤黄白黒と並べてあるのを、鍼灸師や漢方医は何の疑問も感じずにそのまま診断や治療の説明に用いています。
色体は春夏秋冬にも、東西南北にも喜怒哀楽にもなりますが、色体の中の、もっとも抽象化されたものが「五色」であることはいうまでもありません。

つまり「この世のものはみな色を持っており、色こそはこの世の原象(本質の象)である」のです。
すると、
色は五臓六腑や経絡に先立つものでなければなりません。実際、中医学と関係なく、世界は色界であり、色のないものはありません。

色のないもの、つまり透明なもの(自然)は、気体では「空気」液体では「水」固体では「水晶」以外にはないのです(水は気体で水蒸気、液体で水、固体で氷)。なぜ水は透明なのか。色がないのか。いや、色がないのではなく、水はあらゆる色を含んでいるのですね。光と同様に。
こう考えていくと、この世を超越するものが光だということが解ります。光というのは「可視光線」で、光の本体は電磁波です。電磁波のごく一部が可視光線なんです。

筋診断は、診断・治療をするとき、以上の認識を根本に据えて臨みます。
色体の歪みは、光の自然に沿って調えればいいわけですから。
 
 色体と経絡  筋診断は、経絡診断・治療としてスタートしましたから、はじめは色体を視野に入れておりませんでした。筋診断の創始者・河野忠男先生が、間中喜雄博士の支持を得て鍼灸トポロジー学武会に研究発表の場を得てまもなく、間中博士が五臓と五色の対応を治療に応用できるのではないかと問題提起されたのです。博士の小田原の病院に入院していた患者さんに、肝臓病の患者に青色の、胃腸病の患者に黄色の、心臓病の患者に赤の、呼吸器疾患の患者に白の、腎臓病患者には黒の帽子をかぶらせて経過を観察してみたところ、いいみたいだというのですね。1987年ころのことです。

この提案に、河野先生も参画して、以降さまざまな研究を重ねていきます。
しかし、なぜ肝が青で、心は赤で…なのかを、問い詰めることはしませんでした。ただ、診断の対象になる心包経と三焦経に何色を対応させるかという問題について、河野先生は「桃色」であると、断定しました。「桃色が効くから、桃色だ」と、いかにも治療家の現場主義的主張です。
ちなみに間中博士は橙色を当て、学武会では緑を当てる人もおられたということです。

面白いハナシなのですが、なぜ内臓病に色を当てると治るのか、中医学はもちろん、誰も世間を納得させる理論を持っていません。経絡にはナゾが多すぎます…。
 
 筋診断理論  河野先生が筋診断を率いておられた時代は、私たちは「追随する人」でした。技術的責任も、理論的責任も、河野先生が引き受けておりました。
しかし、先生が亡くなられてからは、筋診断を受け継いだ私たち自身がそれを引き受けなければ、筋診断のタネを蒔くことはできなくなりました。タネ蒔きなんかせずにただ一代限り自分の治療技法とするだけなら、理論なんか不要なのですが。
 色体の形  河野先生は学究肌の方ではありませんでしたが、ご自分の「発明」をご自分の努力や才能によって得たものとは考えておられませんでした。直観の人で『筋診断は宇宙の法則の賜物だ』と言うような方でした。

色体を診断・治療に応用するにあたって、どんな形のものをツールとしたらいいか。たとえばツボに貼る色体は円か、三角か、五角か、六角か…。今は三角形を使っていますが、六ボウ星を使ったこともあります。六ボウ星にヒントを得て作ったのが「オルゴンレンズ」ですが、これなんかも、宇宙の形と言ってよい普遍性を持っています。

色体盤、色体球ときて、色体紐を使いはじめ、捩じりの向きで「虚実」を判別できることがわかってからは、当会も10年以上にわたって「色体紐輪」を主な診断具としてきました。

円環や螺旋も宇宙の普遍性に通じますが、今、実験段階を終えて、診断具として重宝しているのが正四面体です。これはプラトン立体の一つです。
こういうものが、経絡診断によく反応するというのは不思議といえば不思議ですね。
 
 経絡の厄介さ 逆に、こうも言えます。宇宙的普遍性を象徴するもの(現象)に規則的に反応する経絡とは何なのか、と。このような視角から、経絡と向き合った人の中に、日本筋診断協会の顧問だった間中喜雄博士や博士のご子息松岡賢也先生がおられます。
松岡先生は、色体と経絡の研究を発展させて、音階、和音、黄道十二宮、曼陀羅、易の64卦…などそれぞれに経絡と反応することを証明してみせました。

しかし、経絡理論も、五臓六腑理論も、今日の科学万能時代にあっては、説明不可能、理解不可能な部分を抱え込んだまま、身動きがとれていません。たとえば、心包・三焦・脾などで、これらは解剖学の内臓に置き換えることができないのです。
何でそんなものが入り込んでいるのか。そこをはっきりさせられたら、若い人たちの間にも、筋診断を定着させられるのですが。
 
 気の身体と経絡  今は物質全能の社会ですから、ものごとを「気」で読むというのは馬鹿げているとされますが、昔はそれがあたりまえでした。医療の場でも、患部症状を見るのではなく、病気のいきおいを見とおしたのです。いわば「いきさつ」を重視しましたので、ものごとについても、物質以前の「気」を読んでいたのです。

医学医療の分野でも、内臓も、内臓そのものよりも、内臓になる前のはたらきや内臓が支える心の力を読もうとしました。物質の形は持っていないが、物質以前のはたらきがあり、それを制することによって心身を調えることができると考えたのですね。

つまり、今、ここにある身体(血肉の身体)を完成形としてではなく、未然の進化の現在進行形と見たのです。換言すれば五臓六腑や経絡は「気の身体」のパーツなのです。
気の次元で、心身を扱うということです。

ですから、病院医療のように、肉体に直接道具や化学変化によっていじりまわすのではなく、色や音や磁気や電気やイメージによって、身体の気の次元に働きかけるわけです。
 
 経絡の原基 そもそも、経絡を物質的に特定することはできません。解剖しても存在しない。
でも、虚構だと言い切ることもできない。科学的に説明できないわけでもないのです。日本が戦争に負けてアメリカに占領されていた時、あやしいものは迷信として一掃されそうになりました。鍼灸も指圧も療術も、ターゲットになりました。

 その時、経絡を発生学的に説明して、伝統医学抹殺政策に立ち向かった人がいました。宇都宮の鍼灸師・石井陶泊です。「経絡の原基は、個体発生の初期に出現する三胚葉である」と主張したのです。
学会も陶泊の仕事を好意的に迎えましたが、その後「禁止法案」が廃止になったので、科学的に探求する努力をしないどころか陶泊を煙たがるようになりました。

私の(当会の)経絡理解は、陶泊の主張に基づいています。その典型が『胚葉筋マッサージ』です。はじめ、診断筋マッサージと呼んでいましたが、診断筋が何なのか、門外漢にはまったく分かりません。でも、胚葉筋なら、高校の生物で習った言葉ですから、何となくイメージできますからね。
 
 治療でなく治癒を  鍼灸師も漢方医も、「病気を治療する」という言い方をしてきました。しかし、人間は生き物です。機械を修理するように扱って、治るとは限らないのです。医師は西洋医であろうと漢方医であろうと、病人が治るのを助けることしかできません。
助けるのに、物質(薬剤や手術)を駆使するのか、気のアイテムを利用するのかの違いがあるわけです。

鍼灸師は鍼を刺し、灸を据えますから、肉体次元にアクセスします。小規模とはいえ、傷つけるので専門知識と技術を必要とし、国家資格を取得しなければなりません。
また、漢方医は薬を処方するのに高度な専門知識と技能を必要とします。

筋診断の知識と技術とツールは、シンプルで合理的で一般的です。生きているなら誰もが持っている生きる力(自然治癒力)を引き出す要領なのですから、専門的な治療ではありません。
人の役に立てられるだけでなく、自分にも効かせられます。