隔月刊144号に及んだ福岡気功の会の会報を改題。リニューアルした会誌『身体知』は《自然のいのちをはぐくむ教養誌》として公刊。会員でなくても定期購読できます。

多彩な執筆陣。多様なテーマ。深い省察。大胆な思考。

教わった気功をひたすら練っているだけでいいのか。それも、見識。
教わった気功を工夫改変して応用するのはいいのか。それも見識。
今、私たちはどこにどうしているのか、気功の心と目をもって静かに見据える。その気功的教養が試されているのではないでしょうか。

気功は、そもそも天(宇宙)と地(地球環境)のはざまにあって《いのち》をはぐくむ実存として現に生きている自分自身を調える心身技法です。どう調えたらいいのか。そのために天を知り、地を知り、「いのち」を知り、人間存在を知らなくてはいけない。その最小限の《知》が必要です。その《知》抜きにして《行》はない。
その《知》は、中国気功を仕入れたときに添付されていたものを、そのまま踏襲して済ませてきたのを、ちょっとちがうのではないかと、気づくところから少しずつ育ってきました。

『身体知』は気功の中心部で発酵する姿をとらえる一方、気功の裾野に広がる広大な「知」の世界を思索する冒険なのです。


17『身体知』編集室






















最新号ごあんない
 『身体知14』
2014.5.28発行
 本誌 12ページ 
新年度に向けて
なぜ気沈丹田
FKJ福岡気功の会常識・実践篇(5)「吐濁補清」
FKJ福岡気功の会常識・理論篇(5)「気の身体」
ヘルスカスタムアーカイブス『イチロー的肩入れ体操』

別冊身体知 12ページ
エッセー「宝来柑の季節」
河野靖好の霊的医学覚書3
なぜ中国気功には発展がないのか
コラム「出講日誌」
天火同人

別冊 武術読本 36ページ
 『身体知13』
2014.3.28発行
本誌 16ページ 
骨盤気功は体力の基準
FKJ福岡気功の会常識・実践篇(4)「抖動丹田」
FKJ福岡気功の会常識・理論篇(4)「火候適度」
ヘルスカスタムアーカイブス『さらさらマッサージ』
聞き耳を立てよ
ひとことふたこと

別冊身体知 12ページ
エッセー「ついてるともってる」
河野靖好の霊的医学覚書2
心の利子と純陽の気
コラム「ワークショップの功罪」
天火同人

別冊 気功読本 28ページ

『身体知 12』
2014.1.28発行 
本誌 16ページ
静坐のすすめ
FKJ福岡気功の会常識・実践篇⑶「導引・亀息・坐忘」
FKJ福岡気功の会常識・理論篇⑶「守中守一」
ヘルスカスタムアーカイブス『大椎体操』
コラム『春先の養生』
コラム『カゼは治すべきか』

別冊身体知 16ページ
河野靖好の霊的医学覚書1
三者三様の太極拳2…瀧元誠樹
音と聴覚について…山部嘉彦
天火同人
 

『身体知11』
2013.11.26発行
本誌 16ページ
自分の気功 みんなの気功
FKJ福岡気功の会常識・実践篇⑵「打ち上げ花火」
FKJ福岡気功の会常識・理論篇⑵「鬆静自然」
ヘルスカスタムアーカイブス『ワニのポーズ』
Q&A 集注の気功もやろう
ひとことふたこと

別冊身体知16ページ
エッセー『父の部下の特技』
ここまできた筋診断
私のヌース覚書⑶
中国滞在レポート『三者三様の太極拳』1 瀧元誠樹
天火同人
 

『身体知 10』
2013.9.27発行
本誌12ページ
あんじーの生礼賛
FKJ福岡気功の会常識・実践篇⑴「兪府のチューニング」
FKJ福岡気功の会常識・理論篇⑴「五調」
ひとことふたこと

別冊身体知 16ページ
定方教授の易学講座最終回 文献ガイド
ヘルスカスタムアーカイブス『足湯と肘湯』
私のヌース覚書⑵
極私的特製左右開弓 中川眞一
訃報・中川重雄先生逝去
天火同人

 


『身体知 9』
2013.7.30 発行
会報『あだーじょ』+会誌『身体知』体制を、会報『身体知』+『別冊身体知』へ再編

特集『総会報告』
今年の夏は熱中症!
気功上達のコツ『どんな速さで動けばいいか』
ロコモの本態~老化の本質
「食が人を変える」…日本総合医学会九州大会

別冊身体知
私のヌース覚書⑴/天火同人
別冊付録1 『出発としての死』 最終回 片山恭一
別冊付録2 『日本の夏』
別冊付録3 『販売品リスト』
.☆今号は図らずも5分冊。ページ合計72ページという夏休み特大号。
 

『身体知8』
2013.5.24 発行
連載8 出発としての「死」第五章下  片山恭一
微笑息 余聞  (や)
レポート 東北支援…私たちにできたこと  小山内和子
連載3 行気・聴勁・愉気   山部嘉彦
連載8 定方教授の易学講座「続 易は気の変換装置」  定方昭夫
特設コラム『中国?リゾーム?』  (や)
天火同人(山部嘉彦身辺雑録)

今号は28ページ。付録なし。
札幌の小山内さんが311以降、自分たちにできることがあるはず、とスティックを使った健康体操を考案して、大槌町に乗り込んだ。手取り足取りの丁寧な指導と交流の輪を広げ、つながり合うセンスはさすが気功指導のエキスパート。そのレポートを掲載。
☆行気・聴勁・愉気の連載をまとめた24ページのパンフレットできあがっています。¥1000。
特設コラムは埋め草なので、思い切りハネた草稿である。ドゥルーズが見損なった中国リゾーム論を牽強付会。当HPの『深いはなし』に抄録。

 

『身体知 7』
2013.3.11 発行
連載 行気・聴勁・愉気(2) 山部嘉彦
連載 出発としての死7 第五章中『核エネルギーの問題』  片山恭一
連載 定方教授の易学講座7『積善のすすめ』 定方昭夫
連載 河野的人間学6『身体知とは何だろう?』 河野靖好
微笑息のすすめ  (や)
天火同人(山部嘉彦身辺雑録)

今号は32ページ。付録なし。特集記事もなく、平凡なラインナップです。
発行日をあえて311としました。表紙に「その日」の記録写真を載せましたが、カラーのほうがインパクトがありますので初めてカラー印刷にしました。
同時発行の『あだーじょ』に「行気をどう読む?」を掲載。傑作とまではいかないが、佳作ではあろう…と自賛し、当HPの『深いはなし』に転載。請う御講評。
 2013バックナンバー

『身体知 6』
2013.1.29 発行
行気・聴勁・愉気(1)山部嘉彦
出発としての死 連載6 第五章上  片山恭一
メルマガ「ガンを予防しましょう」終刊 関口素男
天火同人(山部嘉彦身辺雑録)
別冊特別付録『知っておきたい中国の近現代』B5版28ページ 

今号は、本誌20ページ建てのスリムなボリュウムで、28ページの付録というコンビです。
付録は、中華民国時代の38年間の民情を探るという企ての、ブリーフィング。
目玉は、《蒋維喬は、教育界の大御所だった》です。その蒋維喬の静坐のすすめに、若き毛沢東が噛みついた。同時代に生きた中国を憂える二人の相反する思考。そして、中国人はどうして反日しか能がないのか、その貧弱なナショナリズムの原点を照らす。
一般の方にもお届けします。¥500
 2012.8.4 uped  『身体知』に込められた意味
 さて、この『身体知』には、「いのちの自然をはぐくむ」「教養誌」というキャッチコピーをつけております。「身体知」も「いのちの自然」も「教養」も、ここまで説明抜きでやってきましたが、これはこれから気功をいっそう豊かなものにしていくための象徴的な価値を示しているものですし、何人かの方からどんな思いを込めてそう名付けたのか説明してもらえたら…とお尋ねがありましたので、お答えしようと思います。

今さらメルロポンティ?           
 「身体知」は、自分の造語と思っておりましたら、東海大学の田中彰吾という人が「身体知研究会」というのを作って数年前から活動していることが分かりました。それから、最近の新聞広告で知ったのですが、内田樹と三砂ちづるがタッグを組んで「身体知」という本を出したというではありませんか。まいったな。
 田中と内田をつなぐのはどうやら「おフランス」ですね。田中は身体知の源流はメルロポンティ(の身体論)だと言うんですから。         
 メルロポンティは戦後まもなくサルトルと「レタンモデルヌ」を創刊した人だけど、朝鮮戦争の時、共産主義にもはや希望はないってサルトルと別れたら、ボーボワールに口汚く罵られた人です。…とい言い方は偏っているかもしれませんが、デカルト以来のヨーロッパ哲学のテーゼ《物質と精神》二元論を解体して「物質・生命・精神」の三層を基礎として組み立て直そうとした、フッサールの後裔というべき立場にいた哲学者ですね。身体というのは、その生命のカテゴリーに属するものだと。身体は主体として存在するんだと主張したわけです。
 そのメンタリティを受け継いで、自称武道家のインテリ内田が、高岡英夫の腰巾着で方向音痴の三砂が身体感覚重視で意気投合したのでしょうか。この会誌の発送が終わったら、買って読んでみようと思います。せっかくですから、次号に書評を書きましょう。
 ほかにも、「身体知」を標榜するところのあることがしらべてみて分かりましたが、福岡気功の会の身体知は、スポーツや医学・生理学の身体ではなくて、気の身体の身体知ですから、彼らのことは気にせず我が道を進めそうです。
 田中によるブリーフィングでは「自転車に乗れるようになるのは、身体知の賜物だ」というような説明になっております。違うでしょう、小脳のごくフツウの機能にすぎませんと突っ込みたくなりますが、東海大学はそのセンで行けばいいのであって、私たちは「いのちの自然」を結ぶ「体認」のことを、《身体知》と呼びたいと思います。
 人は生まれる前から生きており、生まれる時に「いのちの革命」を経験して成長を始めるわけですが、自ずと自分自身を形成していきます。それは個人的な意志に従って成長するのではなく、「いのちの自然」そのものです。こうして形成される身体とその能力はいわば「本能」の結果なのですが、それゆえ無自覚で、無関心です。たとえば幼児期に病気になるのは成長のつかえを自ら克服するために身体自身が決行する非常事態運動ですが、これなどまさに身体知の賜物と言うべきでしょう。そのように見る力を蓄積していくこと、そして今の私(たち)のケースなど、老化のつかえを解消するために身体自身が行なう身体知の発露と言うべきでありますから、それができる身体へと自覚的にスキルアップすることが身体知を磨くこと洗練させることなのであります。そのプロセスにもっとも重要な「技」こそ《体認》なのではないか。その体認のために必要な知識と経験を供給してくれるのが、気の身体なのです。

教養とは何か
 対象が自分の身体ということになると、人は感覚を研ぎ澄ませることについ熱中してしまいがちです。知らず知らずのうちに小乗的になっていきます。とりあえず自分だけは健康で人生を全うするみたいな。けれども、気功を一つの心身向上運動とみると、大きな「もののとらえ方、考え方の転換」とリンクしていかないと前途が見えてこないのです。そこにもう一つのキーワードである「教養」が必要になってきます。
 この教養は、はばひろい知識のことではありません。はばひろい知識のように見えるのは、はばひろい知識を活用しているからです。活用するには、知識と知識を結びつけたり重ね合わせる力が必要なのです。その力は知識を現実に応用してみてうまくいかない経験や、現実に当面してそこで利用できる持ち前の知識を引き出して試してみる想像力によって形成できるのですから、決断力と気づきの乏しい人には教養はありません。また、知識自体に関心がない人は、やはり教養はありません。
 というわけで、教養の構成要素は知識・決断力・気づきですが、それを支える土台は冷静さと余裕であります。冷静さは深い息によってもたらされ、余裕は楽観性によってもたらされます。しかも、私の考えでは、ある種の臆病さがないと教養も教養らしくなくなるのです。この臆病さは溜めとか熟成と言い換えることができるもので、なかなか教養が身につかない理由は、これらの要素が揃いにくいからだと思います。
 それでも、(すでにある程度)教養のある人の一見とりとめもない話は、まだ教養に乏しい私たちにとって、かけがえのない追い風になります。それで、『身体知』には局外より書き手をお迎えしているわけです。不肖私が執筆者の一人としてその中にいるのは『身体知』が気功という柱によって立つためで、他意はありません。

気功発展の活性剤
 気功家にも、気功愛好家にも、太極拳などの武術をたしなむ人にも、教養は絶対必要です。教養が、気功や太極拳への理解をきっと助けてくれるからです。必ず深めていくことができます。発展させることさえできるかもしれません。ですから、気功教室に入って、お金を払ってその額に見合うだけの知識と技術を入手しようという心がけの人には教養は必要ないかもしれません。
 私が、柄にもなく「教養」のことをいうのは、気功がこのところさっぱり発展しないのはなぜかと考えてきて、気功普及をリードする人に何かが足りないからじゃないのか、足りないのは何だろうと考えを進めてきた結果です。
 中国の気功を見てきて、抑圧とか思い込みがあると、気功が小粒になってしまうことが分かりました。抑圧の源泉は伝統と政治で、その典型が中国共産党の「指針」で、気功家がびくびくしていた時期には気功の発展はありませんでした。抑圧がおさまっていた時期は多少のでたらめがありましたが、発展もあったのです。そのでたらめというのは、荒唐無稽と形容すべき「功理」に象徴されます。
 そういうものも、日本に流入してきました。お祭り気分の中にいるときは、でたらめも愛嬌ですが、醒めたところでは唾棄すべき愚劣なものと映ります。日本で、気功に対して距離をおく識者が多かった理由の一つは、中国の「熱気」のない、日本では、気功のでたらめが目立ったことがありました。

無教養が気功の価値を下落させる
 気功が「できる」人に、教養があるとはかぎりません。それは、いわゆる精神世界の人たちの多くの人が教養を欠いているのと似ています。
 たとえば、20年も前ですが、身近にこんな話がありました。「飛行機に乗っていてふと窓から外を見ると観音様が龍の背に乗っていらっしゃる。あわててカメラを向けて撮ったのがこの写真なんです、○○から香港航空の飛行機に乗って○○に行った時ですよ…」なーんて言われて、その写真を見せられて「へーえ」と言うのはいいけれど「その写真、私も欲しい。1枚いくら?」というのは、困ります。レーニンの演説写真からトロツキーが消されたやつが流布されたり、アサヒグラフが満州で写した写真にキャプションをつけて南京大虐殺の写真に仕立て上げたりしたことを常識として知っていれば(いや、いなくても)ホントかいなと思わなくちゃいけない。否、龍が空想上の動物であることを知っていれば、この話自体がでたらめであることは子どもでも分かります。気功が「できる」人も、精神世界の人も、例外なく人はいいのに、教養がないのです。いや、教養以前の常識がないのです。
 20年前に比べると、精神世界業界は1/20ぐらいに縮小しておりますが、気功業界も同様です。今日、精神世界はどうか分かりませんが、気功は発展の芽があります。
 読者の中には、半田さんの連載や、河野先生の連載を、それこそでたらめじゃないかと、勘繰る人がおられると思います。定方先生の易の話も、迷信に限りなく近い与太話と思う人がいるかもしれません。私だって、彼らの話が今日日の世間の常識外れであることぐらい、十分分かっていて、書いてもらっているのです。常識と教養は違います。常識は社会に依存していますが、教養は知性に依存しています。しかもなお、彼らは自分の書いていることが世間の常識と相容れないことを熟知した上で、なお信念をもって書き、それを届けて下さるのであります。

一回読んだだけでは解らない
 では、読者の皆さんにとって、彼らの常識外れの「話」は、どんな意味があるでしょうか。たんに面白い話を提供しているだけだと思いますか。
 私が編集子として受け取ってもらいたいのは、思索に打ち込むエネルギーとそれを言葉として紡ぎ出す知性です。それぞれの記事(を書いている筆者の心のときめき)まで、私たちは実にはるかに遠いところにいるわけですが、いながらにしてそれを目にしています。じかに、その息遣いを感じられる幸せを感じてほしいと思っています。なぜといって、彼らの仕事は近い将来必ず常識になりますが、常識になる前の「生まれ出づる悩み」を現認しているのですから。もっとも近い将来と言っても、30年後かもしれませんが。

 気功に、発展の芽があるとしたら、それは教養に支えられていなければならないということです。知性と隣り合わせにいなければならないということです。そうしておいて、自分を磨く。磨こうだなんて思わなくても、一緒の空気の中にいただけなのに、いつのまにか洗練されてしまったと、自分で思えるように、日々練功し、ときどき『身体知』のページを繰ってみてほしいと願っております。私の編集する『身体知』の記事は、決して難しいものではありません。しかし、一回読んだだけで解ってしまうような安価なものは一つもありません。繰り返し読んでください。彼らの思索の密度に比べたら、私たちの読み込みなんか、すかすかです。
 さあ、どうか今後とも、ご愛読ください。
 補遺
2013年の総会に武術家・橋口秀雄先生をお招きした。いろいろな映像資料を見せていただいたのだが、その中に西野式呼吸法の大昔のパフォーマンス。西野約60歳が演壇上で若者相手にハンドパワーをかます。若者はワーッと悲鳴を上げてどどどっと後ろに飛ばされたかのように倒れる。涼しい顔の西野先生様。
そのパフォーマンスの会場の看板に、なんと「身体知」とあるではありませんか。
ちょっと、めげましたね。(2014.5.31)
 
 身体知0
「出発」としての死 第一章 定義される死     片山恭一
カゼは死霊の憑依                   河野靖好
筋診断アラカルト1 半身不随の治療        山部嘉彦
定方教授の易学講座『易のお告げ』         定方昭夫
KOHSEN SPEAKS OUT 1  反転し始めた世界  半田広宣
トピックス  老人向けヘルスケアプラン       山部嘉彦
どさくさエッセー なまこ物語              山部嘉彦
天火同人                         山部嘉彦            
 身体知1
311震災一周年特集 ママは原発いりません           小島秀子
            過敏と麻痺                   山部嘉彦
「出発」としての死 第二章 日本人の死生観をめぐって    片山恭一
精霊(動物霊)と植物霊の話 あるいは胆虚証と胃実証の話  河野靖好
筋診断アラカルト2 患体の向き                   山部嘉彦
トピックス   野口晴哉オマージュ:どんな老人になるか     山部嘉彦
定方教授の易学講座『コインの裏表陰陽』            定方昭夫
KOHSEN SPEAKS OUT 2  人間の意識の方向と時間    半田広宣
天火同人                                山部嘉彦
 身体知2
定方教授の易学講座『易のバックにおられるのは?』      定方昭夫
行ってきました、気仙沼                        高橋暁子
荘周が見たもの                            山部嘉彦
KOHSEN SPEAKS OUT 3 人間の外面と内面          半田広宣
「出発」としての死 第三章 仏教とキリスト教           片山恭一
筋診断アラカルト3 表情筋体操                   山部嘉彦
天火同人                                山部嘉彦 
 身体知3
編集前記                         
身体知をめぐる教養のこと        山部嘉彦     
わたしのいる場所 5          半田広宣     
暑さを苦にしない体操          山部嘉彦     
易の神様に就職を世話してもらう   定方昭夫    
出発としての「死」 第三章後半     片山恭一    
筋診断アラカルト「心身統一」      山部嘉彦     
ひとこと・ふたこと                    
※天火同人は今回にかぎり『あだーじょ』に載せました。       
 身体知4 
出発としての「死」第四章「死の構造」上                片山恭一
KOHSEN SPEAKS OUT     光の世界への扉                          半田広宣
ブックエンド『身体知』『六ヶ所村』
定方教授の易学講座『六虚に周流す』                                     定方昭夫
筋診断アラカルト「診断筋マッサージ(1)」                                  山部嘉彦
治療師の人間身体論                                                           河野靖好
ひとことふたこと
天火同人                                                                           山部嘉彦
2012年9月29日発行
 身体知5
練功のコツ                      山部嘉彦
気功の将来を考えるシリーズ
外労宮のソフトタッチ
天火同人
筋診断アラカルト「診断筋マッサージ⑵」
「出発」としての死 第四章「死の構造(下)」   片山恭一
定方教授の易学講座『易は気の変換装置』   定方昭夫
身体知ということ                   河野靖好
NOOS 7 時間を超えた価値の創造に向けて   半田広宣
  ●『身体知』1周年です。連載記事中心に、気功世界の裾野をひろげる「知」の、最新最深の考察をリリースしてきました。まとめて読んでみると、新しい世界の読み方・歩き方にヒントが得られた気になってきます。今世紀になってから、世界中、平穏無事な幸福社会は消失しました。誰しも波瀾に満ちた不吉な社会で生きていかざるを得ないのです。例外はありません。
友がいて家族がいて、師がいたとしても、最後に頼りになるのは自分だけです。その自分を鍛えるしかないのですから、生きるヒントを得るために、できるだけ品質のよい情報を求める必要があります。その一端を担うのが、オリジナルの思考を満載した『身体知』である、というような気分で1年間やってきました。今後とも、よろしく。
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