bR | 日本をどんな国にしたいか 2012.10.8 311以後せめて2年間ぐらいは、今後とも日本に住み続けるに違いない自分としては、この日本の国にはどうなってもらいたいか、世界はどうなってもらいたいか、いろいろな考えを聞きながら、じっくり考えようと思いました。 できるだけ長く将来を見て発言する人の声を聴いてみようと思いましたが、そういう人は少ない。原発一つ取り上げてみても「とにかく止めろ」「経済のことを考えたらとりあえずはいいじゃないか」と、右も左も老いも若きも、驚くべき短絡無思慮の大合唱です。 私は原発は反対だが、首相官邸前のぞろぞろも、さよなら原発も、昔何年間もそれ一筋におおげさに騒ぎ回って結局へこたれてしまった痛すぎる経験がある私のような人間の目には、意味はあるけど価値のない壮大なゼロのように思えて、署名にも気合が入らない。 自分には、また、別の方法があるような気がします。原発も、その先も、長い息で、考えていきたいです。 私みたいな人ばかりだと、これまた困ったことになりかねませんが、世の中はよくできていて、私より、はるかに切実に考えるまじめな人はたくさんいるので助かります。そういう人は私のようにうんちくをこね回すより先に、腰を上げて現場に行く。行って、その場に身を置いて考えるのです。 たとえば私と同年代の、京都のTさんは、20年も前から「個人誌」を不定期で出しつづけ、私にも送ってくださる。そして、いろいろ問いかける。今度も東北の被災地に出かけて体験を書いたり、最新号では7月16日の《さよなら原発10万人集会》に出かけたレポートを載せています。えらい。 で、それを読んでいたら、やはり現場に身を置いてみなければ見えないことがあるということがよくわかる。ちょっと、無断で引用します。 澤地久枝さん「日本が小さな国になることを、なぜ恥じる必要があるのか。小さい国土にふさわしい規模で、この国に生まれてきてよかったと思える国にしていく。福島という故郷は奪われたけれど、まだ奪われていない故郷がこれだけあると実感できるような方向をとらなければなりません」。子どもの声で「そうです」という声が響いた。すると澤地さんは、「あなたのために、私たちは頑張っているのですよ」と答えた。その言葉は会場全体に響いた。運動がどういう成果を上げるかは別として、次の世代に言葉が手渡された瞬間だった。 澤地さんは、娘時代に満州から引き上げてきた人だけに、戦争については体験だけでなく、とことん考え抜いて、はっきりものを言い続けてきた人です。九条の会の発起人の一人なんですね。澤地さんは、そうした活動やノンフィクション作品を通して、戦争の起こらない世界を次の世代に手渡そうとしているのだと思いました。 私の歳は今年65で、澤地さんよりずっと下ですが、はじめのころは別として、自分のために気功をやったことは一度もありません。いわば平和の礎としての気功を、手渡しやすい形にして、世界中の、気功を必要とする人たちに手渡せるようにとやっています。誰に、どんな形で手渡せるか分からないけれど、ときにはあまり得意でないこともやりながら、やっています。 気功が、とりあえずは日本人の教育の中に活かされるようになったら、中国人、韓国人、朝鮮人、ロシア人、アメリカ人の中の、賢い寡黙な人たちと、上手につきあっていくことのできる人が増えると思っています。 今の日本人のように、ちょっと悪く言われただけで深くも考えずに隣の国を嫌い、信頼関係を築けない国というのは、きっと滅びると思います。このままだと、滅びるでしょう。 それなのに、澤地さんは、えらいと思いました。 |
bQ | 経絡力を活かす 2012.7.6 畏友である稲舛茂俊さんに、実演つきの講演をしていただいた。 かれは福岡健康医学社の社長で、ぎんなん治療院の院長先生である。、バンキー治療を受けたことも、井穴刺絡もしてもらったこともあったから、日頃どんな治療をしているか知っているつもりでいたが、今回拝見して、見直した。 探究心が半端じゃない。たいていの治療家は患者が満足すれば自分も満足する。かれはちがう。患者がたとえ満足しても、自分が満足するまで患者を帰さない。そういう心がけで患者に接するから、治療はおのずと厳密になる。たとえば円皮針のポイントは数ミリのちがいを特定するのだ。 この日の患者は、福岡気功の会の会員だったから、身体の感度はいいほうだし、そこそこに健康な人だが、それでも患者として名乗りをあげ、腰が痛い、いろいろやってみたが、効果がないという。 かれは手ぐすね引いて、とりかかる。 まず腰の動診。ていねいに診て、腰は痛くないことを確認する。じゃ、どんなとき痛むのかと聞く。車を運転しているときまって痛くなるのだと。 腰が痛ければ、腰を治そうとする。しかし、腰は悪くない。痛いけれど悪くない。となれば、たいていの治療家はお手上げであろう。 しかし、手練のかれは、ここからが治療だとばかりに、まことに理屈にあった解釈を打ち出す。 からだのどこかに問題が生じると、その問題自身が凝縮して末端に硬結を作る。いわば「病根」となる。そしてある特定の姿勢をとったり、動きをしたとたんに、その硬結が乗っている経絡のどこかで騒ぎ立てる。 そういう構造と運動をしているなら、腰の痛みのある部位から類推できる経絡の末端部、たとえば足の指の関節をていねいに探っていくと、激痛を感じるポイントがある。そこが治療点だと。 この「腰痛患者」の場合も、足の2指の関節部に硬結がみつかり、そこに円皮針を乗せたとたんに悩みが消えてしまった。 経絡のラインをこんなふうに利用する治療法を、私は初めて見て、すっかりかれの力量に感心したが、それと同時に、経絡というのはたんなる存在ではなく、力を秘めていることを痛感した。 経絡が持っている力を引き出してやることがたいせつだ。経絡はあるのだから、経絡感覚を育ててやればより大きな力を発揮するのではないか。 気功家として経絡を、いや経絡力を利用しないてはないと、つくづく思った次第である。 |
bP | HP制作の困難 2012.4 インターネットの世界は拡大膨張の一途をたどり、今やマスメディアをしのぐ堂々たるコミュニケイション・ツールにまで成長している。 福岡気功の会の普及活動に「寄与」してきた新聞の「おしらせ欄」やラジオのスポット情報の効果はすっかり縮んでしまって、気功のイベントに誘い出す力はすっかりなくなってしまった。 十年近く前、福岡で直下型地震があり、その後の余震で、すっかり萎縮してしまった人が少なくなかった。311を経た今では、あんな程度でおびえるだなんてと思う人もいるだろうが、長い間震度3を上回る地震を経験して来なかった福岡市民の当時のショックはたいへんなものだった。 そこで、地震の心的ショックを緩和させるための簡単な気功講座をボランティア企画で行ない、新聞各紙に情報を載せてもらった。幸い、数紙に載って、たくさんくるかもしれないと、スタッフを揃えて待ち構えたが、一人も来なかった。こちらにも甘さがあったのは事実だけれど、1990年前後は同じ手法で少なくても20人以上来たことを思うと、気功が流行らなくなった事実とともに新聞の伝達威力も衰えた事実を感じないわけにはいかなかった。 ここ数年のPCの普及、インターネットの普及は、目を見張るものがある。20〜30代の若者でこれを持たない者はいないといってよい。企業活動でPCを扱わないところはないと言ってもいいくらいである。今ではPCを持たない人は年配の人の一部にすぎなくなった。実は、福岡気功の会に集まる会員の皆さんのかなりの人たちが、その一部に属している。だから、会報はメルマガで…とはならない。 かく言う私は反とまでは言わないが、れっきとした非PC派なのである。だからといって福岡気功の会はPC抜きでやりますとは、まあ諸般の事情で、いかない。辛いところだ。 たとえば、昔はチラシを撒いたりした情報発信方法は、今ではインターネットに依存することを除外することはできない。 会員が増えるのは、一にクチコミ、二にネットである。業界誌みたいのがあればそれも有力な選択肢として機能するが、時代がちがう。今は気功を扱う雑誌はないし、会(の活動)を紹介してくれる掲示板もない。 …というわけで、HP制作に本腰を入れることにした。これまでのHPはなかば陳列基調のもので、一応参加しておりますという気分で運営してきた。こういうのをおざなりというのである。 それでもポツリポツリとノックしてくる人がいたのだから、もっと自分たちのセールスポイントを主張すれば、まだ見ぬ仲間に出会えるかもしれないぞというわけである。慣れぬことゆえ、サマになるまで、1年はかかると思う。 |
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