14 教功ケーススタディ












気功という大きなシステムの中で、もっとも粗野なエリア、奔放なエリアが《教える》現場です。こういうふうに教えるべきであるというスタンダードメソッドがないのです。いわば気功を教えようと思い立った人の個人的才覚に任されているわけです。

気功指導は、やさしいようで、むずかしい。先生から習ったように教えるだけなら、簡単。でも、教えられる人も、時代も、環境も、目的も、まるで違うのです。同じようにできるわけがない。自分に伝わったようには気功が伝わらない現実。日本の気功の教功の現場は、試行錯誤の渦中にあって、正しい答えはまだない。
 Y先生の凄さが解った
わたしの教室の先生はY先生です。その日はY先生がお休みでM先生が代講で来られることになっていました。それが時間になってもいらっしゃらなくて、みんなどうしたのかなあって、不安な気持ちになってきたんです。もう、30分以上も待って、これは何か事故があったのかもということになって、教室の最古参のOさんがピンチヒッターで私がやりますって、そういうことになりました。
それでみんなでいつもの準備体操をして、それからOさんが、知っている気功をやりました。それはすぐ終わっちゃって、そしたらまた違う気功をやって、またすぐ終わって、4つもやって、ようやく時間がきて終わったんです。Oさんは汗びっしょりでした。わたしたちはまじめにOさんのリードにしたがってやりましたけど、いつもの終わったあとのほんわかしたハッピーな感じが全然ないんですよ。
それで、終わったあと、仲良し同士でお茶したんですけど、今日はなんか疲れちゃったよねーって。笑いながら。Oさんは、毎朝S公園でお近くの方と一緒に気功をやってらっしゃるんです。でも、いつもとは勝手がちがったのかな。
やっぱり、Y先生は凄いなってことになった。だって、いつも一つの気功を全部やれなくて、時間が足りないんだもの。それでも、みんな満足してるんですから。
それでわたしは、気功教室は、ただ気功をしているわけではないんだって解ったんです。わたしはY先生に気功を習っていると思っていましたけど、気功を通じて気功の心を学んでいるんだって。だって、わたし、今やってる気功覚えていないんだもの。 (K.=女43)
気功 指導者の必要条件?

1988年のことだったと思う。焦国瑞先生が来日されて、指導のため福岡にも来てくださった。朝食に白粥をごちそう(とは言い難いが)するために拙宅にお招きした折り、指導者談義になった。
指導者としてもっとも必要な資質はなんだろうかと。
先生はすかさず三つの要件を挙げ、一つでも欠ければ指導は失敗すると断言された。その三要件とは、@知識A技量B人格で、もっとも大切なのがBである。Bが不足・未熟であれば、@Aがいくら優秀でも気功は伝わっていかないとおっしゃった。
それはそうだと思うが、人格は客観的に測ることができない。ある人にとっては優れていると見られても、別の人にはつまらない奴だと思われることがあるからである。
しかし、それでも、指導者が指導者として育てる立場になれば、やはり人物を見て、この人は指導者としてやって行けるかどうかを見極めようとするのが常である。指導者は、好き嫌いで後継者を抜擢するようなことをしてはいけない。実際公平にと思い定めてどんなに客観的に判断しても、好き嫌いを排除できないものなのだから、はじめから好き嫌い選択オーライで決めたら、ろくなことにならないのだ。だから指導者として相応しいと思われる人格として、どんな指標があるか考えておきたい。
(や)
 気功の将来を考えるシリーズ                  

気功を教える・気功を伝える 


             山部嘉彦

教功は未開拓のエリア
 気功を教えることを、教功といいます。ただ教えるのではなく、教えること自体が練功であるというニュアンスを含んでいます。          
 …だといいのですが、そんな教功論を読んだことはありません。教功は、言葉はありますが中身のない、まだ未開の荒野です。あるいは、おろそかにされてきた分野です。気功を教える・伝えるとはどういうことか、どう教えるのが適切なのか、あらためて一緒に考えてみることにしましょう。

中国の気功指導
 気功は、事実として解放後発表され普及された新時代の(20世紀の)「健康法」「医療技法」でありますから、新しい時代の指導法・教授法とセットになっていそうなものですが、そうではありません。 新しい時代というのは「新生中国」の時代、つまり1949年に成立した共産党が支配する中国における、という意味合いと、旧弊を打破した科学的、個人主義的な、あるいは多義的ではあるけれど近代的という意味を含んでいます。             で、そういう新しい社会環境においては、気功はともかくも国家事業なのですから、その普及のための指導は学校教育という形態をとりそうなものですが、はじめから全部そうだったのではありません。 まず文革後のことですが、中国では気功が大学の医学系・体育系の教科の一つになりました。学校教育の対象となる若い人たちは、中医薬大学(もとの中医学院)や体育大学で、カリキュラムに沿って教官から気功指導を受けるようになったのです。
 しかし、当時、気功を実際に必要とした人びとは、若い学生ではなく、比較的高齢の一般庶民でした。彼らは、都市の公園で毎日のように行なわれていたさまざまな気功の練功会に参加したり、地域の公共施設で安い授業料を払ってやりかたを教わり、家庭で自習するのが普通でした。
 気功はいわば民間の任意の社会教育として普及したのです。気功指導者には、気功指導の規格も手引きもなく、ただ自分の先生から習ったように教えていました。1990年ころまでの話ですが。
 今でも、中国の気功指導には共通するパターンさえありません。ただほぼ互いに認め合う「練功要 領」といくつかの気功に付随する教習手引き書があるだけです。馬済人先生が書いたもっとも包括的な良書である『中国気功学』には気功指導の章があり、教功、領功、査功、談功、それに総結練功が取り上げられておりますが、「気功指導要領」の域を出ないものです。なお同書は同名のタイトルで翻訳されていますが、この章は省略されています。

日本人に気功を教えた中国人気功家
 そういう事情もあって、当初中国気功の下請け状態だった日本の気功指導の現場も、多様です。秩序がないと言ってもいいほどです。これは、日本に入ってきた中国気功は多様ではあるが一人一派状態で、ひたすら稼ぐことに夢中で、互いに交流することが少なかったからでしょう。
 しかし、それだけではなく、自分が習った気功を教わったように教えることに対して問題意識を持ち、疑問をさしはさむ中国人気功指導者がごく稀であったこともあるのです。
 師事した先生に誓約を求められて、その先生以外の先生からは習わずに、○○気功一本槍という人もいますし、いろいろやったけれど、今は○○先生の○○気功に落ち着きましたという人もいます。
 その一方で、日本に入ってきた気功はたくさんあり、教える中国人気功家が嫌がろうと禁止しようと、別の先生から別の気功を教わる日本人は少なくありませんでした。いろいろなタイプの気功を別々に習 った日本人は、中国人気功家の共通する指導法と多様性を感じ取り、指導する立場となった人はそれを自分の指導に取り入れるのですが、それだけではなく、そこに日本人向けに自分なりの工夫を凝らして、独自の指導特性を加味する人も少なくありませんでした。

多様な気功・多様な気功指導
 さて、さまざまなタイプの心身技法に対して最初に「気功」という名前をつけて、くくりあげたのは劉貴珍というお医者さんでした。かれは気功の研究はしましたが、気功指導の研究はしておりません。気功指導はしましたが、気功指導法を指導しておりません。これは劉貴珍先生にかぎったことではなく、中国でも日本でも、これまでだれも手を着けてこなかったことです。そんなことを考えなくたって、自分の気功を指導するのに自分が習った先生が自分を教えたように教えれば、ちゃんと伝わるものではないかと、信じているからでしょう。        気功であれ、太極拳であれ、実際いろいろな教え方があるのです。習うのが初めての人なら変わった教え方をされても、拒否反応は小さいものです。そういう人に、あなたの先生はどんなふうに教えてくれるのかと、その内容を聞いてみると、私の教え方と天と地ほどの違いがあることがよくあって、その都度驚くことがあります。
 それは無茶だ、強制にすぎない、それは教えているとは言えないのではないか、それはあまりにも杜撰だ、意味が判らないじゃないか…と思わず叫びたくなります。逆もあります。そんなに厳密に言われたってできっこないよ…などと引いてしまうケースもあるわけです。
 気功が多様なのは(自由に選択でき、発展の可能性があるという意味で)結構なのですが、指導法がそれに輪をかけてこんなに多様なままだと、日本の気功は今以上に発展できないかもしれません。まるで、互いにけなし合う零細な古武術の流派のようだからです。
 ですから○○先生の○○気功は思いがけずヒットして支持者が増えるかもしれませんが、気功そのものに対する社会的評価は高まらないと思います。現状の雑多な指導方法を総括してモデルとなるパターンを作るくらいのことはしなければなりません。それを学校教育の教科としてまとめ上げるのは、骨の折れることにちがいありませんが、ここをないがしろにして、広範な普及発展はありません。

中国人二流気功家の指導術
 実は、ここに大問題が横たわっているのです。
 意外なことと思われるかもしれませんが、今、かなりの数の中国人気功家、太極拳家が移住してきて日本各地で、教えております。かれらはこれまで日本に気功や太極拳がどのように受け入れられ、どのように教えられているかなんてまったく眼中にありません。ただひたすら、自分は気功家として太極拳家として一流であるという慢心と面子と信念でもって日本人相手に教えております。自分の技能水準理論水準がどのあたりにあるか、自分の技能が歴史的にどの系統に属しているか…などについて全くと言っていいほど関心を持っておりません。関心はカネであります。                 
 かれらは比較的少人数の生徒を相手に教えているケースが多いようです。日本人の生徒のほうは、初心者です。はじめての先生を中国人だし、ホンモノだろうと思い込んでいます。ですから何の疑問もなく、気功って、太極拳って、こんな教え方するんだ、と受け入れるんですね。            
 かれらは、食いっぱぐれて日本にやってきて、気功の本場の中国人であることを唯一売りにして、商売として始めたのですから、それなりの凄味があるようですが、教え方は一言で言うと、向こう見ずで封建的で、隠微で、化石のようです。要は、秘伝継承術なんです。   
 つまり、中国の巷間では、気功も太極拳も、今だに旧態依然とした伝統芸能の一種なのであります。

拝師というトンデモ伝承法           
 たとえば太極拳などの武術学習において拝師という習慣があります。制度と言ってもいいかもしれません。日本にもさまざまな分野ごとに○○家、○○流という門派がありますが、中国にはもっとあります。日本でも、道場に看板がかかっていて、弟子募集なんていう貼り紙がある。教えてもらおうと思ってその門をくぐって教えてほしいと頼むことを「門を叩く」などと言います。
 で、中国では、弟子入りが許可されると「学生」となるわけですが、これを入門と言います。入門が許されると、門人としての稽古が始まります。先生が教えてくれるようになるわけですが、そのうち、見込みのある優秀な学生は先生に「どうだ?家族になるか?」などと誘われる。「はい」と答えると、今度は拝師の儀式が待っているのです。要するに、先生を父親に見立てる家族の一員になる。先生に義兄弟がいれば師伯、師叔と敬い、奥さんがいれば師母と敬い、兄弟子がいれば師兄…というようなことで、日本でいえばヤクザの正式の組員になる儀式に相当する仕組みですね。このとき、どかんとカネを包むしきたりもある。家族になるということは、家父長制における家督を継ぐ有資格者になるわけですから、武術であれ、気功であれ、皆伝の暁には免許を与えられて、晴れて門派を名乗る指導者になるわけです。拝師したら、先生の教え方も稽古もがらっと変わる。秘伝を漏れなく教えてもらえるわけですから。
 逆に言えば、拝師しないと奥義は教えてもらえないということです。
 しかし、束縛もあります。日本では入門の時ではなく、免許をもらう時どかんとカネを払わなければならないところが多いようですが、気功ごときで、そんなことやってられないじゃないですか。
 しかし、中国人気功家にとっては、入門し、拝師したからには余所見するな、弟子同士の交流はするな…掟を犯せば破門するぞ、破門されたらそこら中にその旨回状が回ってこの辺にいられなくなるぞ…というのは当たり前のことだったんですね。
 でも、驚いちゃいけない。日本でも武術や医術の業界にはそういう因習みたいなものが、しっかり生き残っているのであります。体育の教科に取り入れられ、スポーツになりきった感のある柔道や剣道にはほとんど残っていませんが、それでも残滓はあって、しばしば指導者や兄弟子から嫌な思いをさせられることがあります。学校のクラブ活動にまで、シゴキなどの悪習が残っているではありませんか。
 伝統芸能のままの、茶道や華道には当然色濃く残っています。治療の業界や禅宗など宗教の業界にもしっかり残っております。いわゆる芸能界でもむろん同じだと思います。
 伝統芸能の内容を端的に示せばすなわち〈家元・宗家の制度によって伝承される文芸・武芸〉という意味合いになりますが、今日では「道」となった武道(剣道、柔道、弓道、合気道…)、茶道、華道なども、秘伝と秘儀それにヒエラルヒーと年功序列と師弟人脈と免許によって構成された稽古事によって完成される心身技法とその表現(用)と総括することができるでしょう。
 教育も、昔はそうだったのですが、これが明治維新をへて公開を主旨とする学校教育に転換されました。これはもちろん、国家の要請によるものでした。まず、士官学校と兵学校、つぎに職業学校、最後に普通教育が完成し、資格を持つ教師が学校でカリキュラムに沿って教科書に記載された内容を教え、試験に合格した生徒を認証するという制度に転換したわけです。
 では、気功、あるいは太極拳は、どんな体制の下で、どう教え、どう伝え、どう役に立てるべきものなのでしょうか。誰がどう教えようと、べつに、どうでもいいのでしょうか。

カルチャーセンターという教習文化
 日本の気功指導、気功普及方式には、中国にはない独特のものがあります。それは気功家が契約してカルチャーセンターの講座として毎週1回、決まった曜日の決まった時間帯に教える・教わるという形式です。
 カルチャーセンターというのは、約40年ほど前、新聞社の文化事業の一環として作られた社会教育施設です。当初の講座は、茶道、華道、書道、料理、洋裁、和裁、美術、日本舞踊、仕舞、英会話などで、かつては花嫁修行の稽古事か、比較的高尚な趣味の指南であったものでした。これは民間の稽古事にまつわる封建的で利権糾合的な制約から解放して、リーゾナブルでオープンな環境と授業料で一般市民に伝統的な文化芸能の教習の場を提供するという使命感に裏打ちされていました。
 また、時代の先端をゆくものを、安心して習えるように、紹介するという役割も果たしていました。今で言うとパソコン教室や韓国語教室、かつては気功もその一つでした。

カルチャーの危機
 けれども、今ではカルチャーセンターの稽古事は全滅状態です。かつては稽古事の封建制が嫌われていただけでしたが、30年経つ内に稽古事そのものが意味をなさず、すっかり敬遠され、古くさいと嫌われるようになってしまったのです。
 気功も、今ではかなり微妙です。気功はかつてはどのカルチャーセンターでも花形講座だったのです。たとえば福岡の朝日カルチャーセンターでは、月早朝、月夜、火午後、金午前、土午前2教室と全部で6教室もあり、各教室とも定員いっぱいの受講者がありました。今はたった2教室に減りました。もちろん、指導がヘタなのではありません。時代後れになってしまったのでしょうか。
 気功だけかといえば、そうではなく、稽古事の死滅と歩調を合わせるように、カルチャーセンター自体が、時代後れになってかつての使命を終えつつあるのです。経営的にも多くは赤字です。さらにいえば、親会社の新聞社がインターネットに押されてどんどん先細りになってきて、経営難に直面しております。新興のカルチャーセンターもありますが、新しい限定テーマの短期集中型のプログラムを作り、それをアピールするのに、苦労しているようです。
 ですから、カルチャーセンター型の指導方法について、気功普及にとってどんな意味があるのか、ここらでじっくり再検討する必要がありそうです。というのも、教室の広さ、生徒の数、授業頻度、授業時間、案内方法と紹介内容などについてカルチャーの教室は日本の気功の普及方法の、一般的なひな型になっていたからです。
 もう一つのひな型は太極拳教室ですが、中国的因習はあまり持ち込まれませんでした。むしろ剣道の 仕組みが参考にされたフシがあります。しかし、旧 来の稽古事の教室や古武術の教室などの様式はあま り持ち込まれなかったようです。   
 気功は、カルチャーの教室を、半永久的に維持していくだけでいいのか。それで気功は普及する一方 で、成熟し発展し、人材は豊かになるのか。カルチャーの、あるいは公民館の教室は気功の紹介・普及には寄与するかもしれませんが、端的に言って、優秀な指導者を養成することはできまいと思います。

カルチャー方式を越える教習システム 
 話題を、今後の気功普及に絞りましょう。
 気功普及にはいくつもの課題があるのですが、中でも、熟達した気功愛好家と意欲のある気功指導者をどんどん作ることが基礎作業として不可欠です。 そのあとから、どのような形式でどう教え、伝えるかということになるのですが、これからは学校教育方式と私塾教育方式に集約されていくと思います。これは両者を切り離して別々にやっていくのではなく、車の両輪のように協調させながら作り上げていくということでしょう。
 カルチャーセンターにおんぶに抱っこという時代はもう過ぎ去ったと思うべきで、そのあとのことを考える時期にきていると思います。
 生前、関博明さんが、気功を学校で教えるのが大切だ、大学を作るのが難しければ、専門学校の学科として組み込めないかと構想を練っていました。でも、カネがないから、パトロンを見つけよう思うんだと、走り回っていた時期がありました。     もっとも、パトロンに話を持っていく前に、話の内容、気功普及の大構想を煮詰める必要があるわけですが。
 気功は囲碁か将棋のような庶民の趣味や娯楽の一つでもよいのですが、私は、私たちが人間らしく生きていく上で素養として一人一人が身につけられたら平和になっていくだろうと思えるもの(公教育の科目として修めるのに相応しいもの)ではないかと思っております。予備校などで、一日座禅修行みたいなことをやっていますが、あんなもの一日体験したって何にもならない。気功はそれと似て非なるものです。座禅を組むくらいならクラブ活動でもいいから中学校や高校で気功を…といつも思っております。

日本人の身体文化の危機
 気功をしてきて、最近思うのは心身ともに「このままでは、日本人が危ない」ということです。これをキーワードにして、普及の策を練ってみたいと思っていますが、皆さんはどうお考えでしょうか。これについては、またじっくり考えてみることにしましょう。
 もう一つは私塾教育ですが、スキルアップのためにはマンツーマンに近い丁寧な教習が必要で、合宿はその一形態です。意欲のある人に教えられるだけ教えるには指導者の主体性が確保できる私塾形式が適していると思います。これは日本の気功家第一世代のこれからの仕事じゃないかと思います。四半世紀前気功を始めて今は気功を指導し、後継の指導者を育てている55〜70歳の人たち。総合的な力をつけて、それを後進にしっかり伝えるということでしょう。
 つまり、指導者というのは気功のやりかたを知っているだけじゃつまらないのでして、気功の技能についてはもちろん、人間というもの、生命や魂というもの、修養というもの、武術や医術についても、教育についても、また日本人の姿勢や所作の伝統が果たしてきた役割についても洞察と思索を深めなければなりません。ですから、第一世代こそが、もっともっと精進しろということです。そして、太極拳や武術のとは異なる、気功指導者を養成するのにふさわしい私塾の様式を、模索していってほしいと思うのです。        

悩み多き気功の道
 高村光太郎は「ぼくの前に道はない。ぼくの後に道はできる」と謳いましたが、この道はただ歩いていくのではなく、それなりの荷を負って歩いていかなければなませんから、なかなか難儀な話なのであります。でも、まあ、ちょっとがんばる、というセンで、のらりくらりと、時には語らいながら歩いていくということになると思います。
 学校と私塾。あくまでも、両方を見据えて取り組むべきではないでしょうか。
 よい智恵と経験が静かに集まってくるようにと願っているところです。             


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